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日本国憲法には「天皇奉戴」は明記されていない


 伊勢崎市議会議員の伊藤純子さんという方の、とんでもないツイートがタイムラインに流れてきて心底驚いた。それが
これだ。このツイートは、スレッド化された一連のツイート群の中の一つなのだが、このツイート1つだけでもツッコミどころを満載している。まず「天皇奉戴(ほうたい)」という耳慣れない言葉だが、これは「天皇に首長になって頂く」のようなニュアンスの表現で、何よりこの文言自体も日本国憲法に用いられていないし、内容的にも日本国憲法第1章1条に
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
と定められているので、「日本国憲法には「天皇奉戴」が明記されている」は明らかに誤った解釈である。どうも彼女は、天皇大権が定められていた大日本国憲法と、戦後に出来た日本国憲法を混同しているらしい。もしくは、戦前からタイムスリップしてきたばかりで日本国憲法の内容を適切に理解出来ていないのだろう。


 次に「日本人の感覚に「主権」という言葉は合わない」も気になるところだが、一旦無視して「脈々と継承される立憲君主制を守るためにも、」に注目する。現在の日本は、彼女が言う「天皇奉戴」に基づいたような、純粋な立憲君主制ではない。形式上は立憲君主制ではあるものの、日本国憲法では天皇を「象徴」と規定しており、厳密に言えば国会主義的立憲君主制で、要するに実際の権力は国民によって民主的に選ばれた議会にあり、天皇の君主権は名目上だけの存在だ。彼女がそれを理解していないであろうこと、若しくは理解した上でその制度に否定的だろうことは、その後に続けられる「帝国憲法の誕生に注目し、改憲に臨まれることを期待したい」という表現からも推察できる。
 要するに、彼女が「日本人の感覚に「主権」という言葉は合わない」と言っているのは、日本人の感覚に主権という感覚が合わないと言いたいのではなく、現在の主権在民・国民主権という規定のある日本国憲法を否定し、天皇の権力が実質的に認められていた大日本国憲法に回帰することを期待・推進したい、と言っているのだろうと推測できる。

 彼女は伊勢崎市議会議員で、地方議員ではあるが、憲法を尊重し遵守するべき立場であるにもかかわらず、憲法の根幹の一つである「国民主権」という規定を蔑ろにしようとしているように見える。例えば彼女が合理的な根拠に基づいて、「国民主権」は好ましくないので「天皇大権」だった大日本帝国憲法に回帰しようと言っているのなら、 当然賛同など一切出来ないが、流石に憲法の精神を蔑ろにしようとしているとまで批判するのは言い過ぎかもしれない。しかし、彼女は「日本国憲法には「天皇奉戴」が明記されている」という盛大に間違った解釈を持ち出し、それを根拠に現憲法軽視の姿勢を示しているのだから、憲法の根幹である「国民主権」を蔑ろにしている、と批判されても仕方がないのではないのではないだろうか。

 一応、冒頭で紹介したツイートを含む、スレッド化された一連のツイートも引用しておく。





という話のなのだが、これまでに指摘したこと以外にも、間違った解釈が多々散りばめられている。ただ、それらの殆どは、冒頭でも取り上げた、結論である最後のツイートに集約されており、指摘が重複するだろうから一つ一つ指摘することは避ける。ただ、彼女の天皇感、そして「主権」の解釈が盛大に的を外れていることが溢れ出ている表現が、4つ目のツイートに含まれている。それは、
「主権は天皇ではなく日本国民にある」などと、日本古来の伝統である「天皇」を否定するようになったのではないでしょうか?
という一文だ。彼女は「国民主権を主張することは、天皇制と相反する」と考えているようだが、現在の日本国憲法は天皇の存在を「象徴」と位置付けており、天皇制自体は否定しておらず、主権在民と天皇制を両立させている。ただ、大日本帝国憲法に定められていたような「天皇大権」は、国民の主権を重視して否定している。要するに、戦前の天皇制を好んでいるのであろう彼女は、この制度が気に入らないから変えたいと言っているに過ぎない。なぜ「気に入らないから」と考えられるかと言えば、彼女の解釈に諸所の間違いが含まれており、主権在民では不都合な合理的な根拠が一切示されていないからだ。合理的な根拠を示せないのであれば、単に好みの問題、いわば宗教的な天皇崇拝に基づいた主張、それに伴う憲法軽視と言われても仕方がないのではないだろうか。

 地方議員とは言え、彼女のような、まともな憲法解釈すら出来ない者が政治家として、議員に選ばれている状況に大きな恐怖を感じる。彼女が議員に選ばれているということは、少なくとも当選できるだけの支持者がいるということでもある。彼女に票を投じた伊勢崎市民が、このような彼女の側面を知った上で投票しているのか定かでないが、もし仮に知らずに投票していたのだとしても、政治に無頓着であることには違いない。
 このような状況を見ていると、戦後70年という時間が経ったことを再確認させられる。戦争経験者の多くは恐らく、大日本帝国憲法や戦前の天皇制を崇拝するような姿勢の政治家を強烈に嫌悪するだろう。それらだけが原因ではないものの、それらが悲惨な戦争が引き起こされた要因の、確実に大きな一つであることを身を以て体験しているだろうから。
 しかし戦後70年が経った現在、彼女のような政治家は決して珍しい存在ではない。程度の差はあれど、国会議員にも似たような思想を持っている政治家は複数人存在している。地方・中央とも、議員は市民・国民の鏡である。市民・国民一人ひとりが適切な人選を心掛けなければ、過去の過ちが繰り返されることにもなりかねない。

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