スキップしてメイン コンテンツに移動
 

潜在的な差別の懸念


 8/18にスペインで自動車を使った無差別殺人事件が起きた。犯人はイスラム過激主義に影響を受けて犯行に及んだと報道されており、テロと断定した伝え方がされている。確かにこれまでも頻繁に似たようなケースが起きているし、これをテロと呼ぶことに大きな違和感はない。だがこれがテロだと断定的に報じられるのに、なぜアメリカのバージニア州で先週起きた、白人至上主義を支持する男性が自動車で群集に突っ込んだ事件はテロだと断定的に報道されないのかには違和感を感じる。自分は海外の現状に詳しいわけではなく、実際に国外でどのようなニュアンスでの報道がされているかは知らない。日本でも一部のメディアはアメリカの事件に関しても、政治家の発言や人種差別反対を訴える集会に参加していた人の見解などを引用して、あの事件がテロだという見解もあることを伝えてはいるが、それにしたって「...という見方もある」程度の論調だ。2つの事件の報道のされ方には明らかな差がある。

 
 テロの定義が何なのかについては詳しく知らなかったので、少し検索してみると、Wikipediaには「テロリズムの定義に関する普遍的な合意はない」という記述がある。しかし、どうやら”政治的な目的”の為に行われる”暴力や脅迫などの行為”というのがその軸にある考え方のようだ。スペインの事件で考えれば、イスラム国などの過激派の目的、究極的には巨大なイスラム原理主義国家の樹立の為に、その足がかりとして行われた無差別殺人事件だと考えればテロに当てはまるかもしれない。しかしそれはアメリカの事件も同様で、白人至上主義という政治的な思想をアメリカ国内で支配的にしたいと考え、反対派を排除することを目的に行われた無差別殺人事件だと考えられる。死亡・負傷した人数には差はあるかもしれないが、事件の背景は拠り所にしている主義・組織が違うだけで実質的には大差がない。計画性の有無を考慮しろという人もいるかもしれない。確かにアメリカの事件はその直前に白人至上主義者と反対派の衝突が起きており、その中で偶発的に起きた計画性の薄い短絡的な犯行と考えられなくもない。スペインの件はレンタカーを事件の為に用意し、アメリカの事件のような前触れもなく不特定多数の市民に危害を加えたという点では、アメリカの事件より計画性は高かったとも言えるだろう。他にも同じような無差別殺人を行う計画があったとも報道されている。しかし、それでも爆弾や機関銃を用意しているわけではないし、誰にでも簡単に容易出来る自動車を用意したというだけで、10年前まで”テロ”とされていた事件に比べれば、明らかに計画性は低いというか、杜撰で短絡的な計画だ。どこで線を引くかの問題かもしれないが、アメリカの事件でも白人至上主義を支持する人々は(反対派もだが)簡易な武装をして集まっており、その上で無差別殺人の及んでいるのだから、個人的には2つの事件の間に犯行に及んだ者の計画性にテロか否かを分けるような大きな差があるとまでは思えない。
 
 日本でもアメリカの事件について、トランプ氏と同じように差別主義者・差別反対派の双方に責任があると主張する人々が一部ではいるものの、多くの人・報道機関は差別自体が容認できるものでないということを基準に、差別主義者達の行動や今回の事件のようなことは強く非難されるべきだと思っているだろう。しかし、スペインの事件はテロと報道されているのに、アメリカの事件についてテロであるという懸念すら報道されないことに疑問を抱く人はそれ程多くないのではないだろうか。個人的には報道機関がこのようなスタンスで伝えていることや、それについて多くの人が疑問を持たないことも、無意識的な人種・宗教差別感の表れではないかと思えてしまう。イスラム教徒や難民・移民が事件を起こすとテロである恐れについて過敏に反応し、欧米人・白人、若しくはそれ以外でも先進国とされる国の市民が同じような事件を犯してもテロである恐れについてはほとんど触れられない。これが差別的な思考でないという納得のいく説明を出来る人がいるなら、是非その説明を聞いてみたい。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。