スキップしてメイン コンテンツに移動
 

馬鹿に鋏は持たせるな


 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、
 切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ(コトバンク/大辞林
で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「馬鹿に鋏は持たせるな」がある。これは「気違いに刃物」(コトバンク/大辞林:非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。


 この数日間で「馬鹿に鋏を持たせてはいけない」を実感することが幾つかあった。それを実感することがこの数日急に増えたわけではなく、例えば「北朝鮮のような国に核を持たせてはいけない」などのように、実感することはしばしばある、というか寧ろ、事後的評価を含めれば頻繁あると言った方が正しい。しかしこの数日で実感したのは、馬鹿に鋏を持たせるとどうなるかが容易に推測できたにもかかわらず、そして馬鹿が鋏を持つことを阻止するタイミングがあったのにもかかわらず、馬鹿に鋏を渡してしまったと実感した、という件だ。


 その1つに、「N国代表・立花孝志氏「マツコ・デラックスをぶっ壊す」と激怒。TOKYO MXの前で動画生配信」(ハフポスト)がある。
 MXテレビ・5時に夢中の7/29の放送の中で、コメンテーターのマツコ・デラックスさんが、NHKから国民を守る党について「ふざけてる」「気持ち悪い」などと発言した。同党代表の立花氏がこれに憤慨して、8/12、マツコ・デラックスさんが出演する5時に夢中(月曜)の放送にあわせて同局前に現れ、自身のYoutubeチャンネルでマツコさんの発言に抗議するライブ配信を行ったそうだ。支援者も多数集まったそうで、彼は「マツコ・デラックスをぶっ壊す!」と訴えたそうだ。

 確かにマツコさんが「気持ち悪い」という表現を用いたのはよくなかったかもしれない。しかし、それに対して「マツコ・デラックスをぶっ壊す!」と対応するようなら彼の行動も同レベル、彼が一応国会議員であることを考えればそれ以下としか言えない
 また、立花氏は「選挙で投票してくれた人に、『ふざけてる』とか『気持ち悪い』とか、それを公共の電波で言ったら、無視するんじゃなくて見解を出すべきでしょう」とも、集まった支援者たちに呼びかけたそうだが、7/29のマツコさんの発言を実際に見た上で考えると、

 あの...これからじゃないですか? この人たちが本当にこれだけの目的のために国政に出られたら、これで税金払われたら、受信料もそうだけど、そっちのほうが迷惑だし、一体これから何をしてくれるかを判断しないと、今のままじゃね...ただ気持ち悪い人たちだから。
 冷やかしじゃない?もちろん受信料払うことに対して疑問を持っている、真剣にそう思ってる人もいるだろうけど、ふざけて(票を)入れている人も相当数いるんだろうなとは思う。ちょっと宗教的な感じもあると思うんだよね。NHKをぶっ壊す教みたいな。ちょっと気持ち悪い、この人(立花氏)も気持ち悪いんだけど、女性も何人かすごい人もいたけど。でも結局、こうやって(観ている人たちが)楽しんで見ちゃってる側面もあって、こうやって騒いでる時点で、彼らの思うツボなのではないか。 (文字起こしはハフポストの記事より)
彼女が発言の前提としている同党の政見放送を見れば、「ふざけてる」「気持ち悪い」という評価が下されても仕方がないと多くの人が感じるのではないか。
 マツコさんは「気持ち悪い」という表現を用いてはいるものの、彼女は決して感情的になっているわけではなく、割合冷静に評価を下しているように見える。勿論、立花氏や同党がその批判は認められないと意思表示をするのは、決して問題のある行為ではないだろうが、「もし来週、マツコさんが出る(番組に出演する)ようだったら、また来ます」と予告したり、同番組のスポンサー企業への不買を呼び掛けるなど、国会議員という立場で、自分やその所属政党を批判した芸能人やコメントを放送した局に圧力をかけるような振舞いをするのは、果たして妥当と言えるだろうか。国会議員でなくとも妥当とは思えないが、国会議員の行為なら尚更不当と言えそうだ。個人的には、立場を利用して嫌がらせをしているように見えるし、厳しく言えば、表現の不自由展 その後 に対して「ガソリン携行缶をもってお邪魔する」と脅迫した者と大差ないのではないか、と感じる。
 表現の不自由展 その後 を巡る一部の政治家・国会議員らの意思表示(8/7の投稿)にも感じたが、立花氏も彼ら同様に、表現の自由の概念を理解できていない者であると強く感じる。

 googleTwitterで「N国 政見放送」で検索すると、「面白い」と受け止めている者が相応にいることが分かる。NHKから国民を守る党に投票した人の中には、彼らの政見放送を面白いと受け止め、それだけで投票した人、「NHKをぶっ壊す!」という彼らが用いるスローガンだけで投票した人も決して少なくないだろう。参院選の選挙期間中に自分は「よく分からずに投票して、後で「投票先を間違った」と思っても全然大丈夫」という投稿を書いた。彼らに投票した人達も、この件やSNS上で指摘されている同党所属者・支援者らの高圧的な振舞いなどを見たら、自分の投票行動が果たして正しい選択だったのかどうかが分かるのではないか。「馬鹿に鋏を持たせてはいけない」。既に彼らは国会議員の資格1名分と、政党要件を満たす得票数(政党要件を満たすには最低5名の議員が必要で、現状では満たせてはいない)という鋏を持っているが、その鋏はまだ小さい。彼らが振舞いを変えないようであれば、これ以上大きな鋏を持たせてはならない。


トップ画像は、MonfocusによるPixabayからの画像を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。