攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている(攻殻機動隊 - 独見と偏談)。今日触れるのはトップ画像の通り、「戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死」という台詞だ。
この台詞が出てくるのは、1995年に公開された押井
守監督のアニメーション映画の第一作・GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 だ。押井
守監督の映画2作品以降も、複数のOVAシリーズや劇場版アニメ、更には実写映画化もされており、最初のアニメ映画は、士郎
正宗の原作マンガと共に、その原点と捉えられ、コンスタントに人気を博している。
2008年にもリニューアル版の攻殻機動隊2.0が製作され映画館でも上映されたが、今年・2021年は新たに4Kリマスター版が公開された。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 4Kリマスター版』予告編 - YouTube
- GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 作品情報 | 攻殻機動隊 Information Site | V-STORAGE (ビー・ストレージ) 【公式】
- 押井 守監督×若林和弘音響監督 登壇!9/18(土)開催『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 4Kリマスター版』IMAX 公開記念舞台挨拶オフィシャルレポート公開! | V-STORAGE (ビー・ストレージ) 【公式】
- 攻殻機動隊 -THE GHOST IN THE SHELL- Official Site [公式]
- 攻殻機動隊 - Wikipedia
この投稿の本題の「戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死」という台詞は、同作品の主人公であり、諜報機関・公安9課の現場指揮官で、脳と脊髄の一部以外全身サイボーグの草薙
素子が、部下のトグサに「少佐(草薙のニックネーム)、前から聞いてみたかったんだけど、なんで俺みたいな男を本庁から引き抜いたんです?」と、自分のような者をなぜメンバーに選んだのかを問われた際の返答だ。
これは、これから作戦行動に向かう車中での会話で、その直前に、草薙がトグサに対して、バックアップを受ける身としてトグサのリボルバー銃・マテバでは頼りないから、ツァスタバという自動小銃を使え、と求めるシーンがある。しかしトグサは「俺はマテバが好きなの」と言い張って聞き入れない。それで、何でそんな自分を…という話につながる。草薙はトグサをメンバーに選んだ理由として、彼が他のメンバーと違って「不正規活動の経験の無いデカ上がりで、おまけに所帯持ち
電脳化はしてても脳みそはタップリ残っているし、ほとんど生身」と、他のメンバーとは全然違う経歴・状況である者だからこそ選んだ、と言っている。
今回の投稿でこの台詞に触れた理由とは別なのだが、MotoGPのレースを見ていた際にもこのセリフを思い出したことがある。
モータースポーツ、特にスプリントレースでは、大抵1チーム2-3台の車両で構成される。あるレースでヤマハファクトリーチームの1台がエンジンブローでリタイアした。するとその数周後、同じチームのもう1台にも同じ症状が発生してリタイアしてしまった。選手ごとに細かなセッティングの違いはあっても、同じチームのマシンは基本的には同じであり、走行距離も大体同じなので、同じタイミングでトラブルが出やすい。勿論、同じ車両を2台走らせることには、走行データを共有しあえるので良い結果を導く可能性を上げられるというメリットもあるが、同じマシンを同じ整備運用状況で使えば、当然同じタイミングでトラブルが発生してしまうことにもなりやすく、それは全滅を招きやすいというデメリットでもある。
この場合は緩やかな死と言うよりも突然死という感じもしたが、攻殻機動隊の台詞が示していたのは、知らず知らずのうちにその突然死を招いてしまう、ということだろうから、同じマシンでも、運用の仕方が異なっていれば2台同時に突然死しなくて済む、2台とも全滅を回避できる確率は上がる、という意味で、緩やかに死に向かってしまった結果の全滅、ということなんだろう。
人間社会にも同じような要素はあって、似た境遇、状況の人間ばかりが集まると、そこから生まれる発想やアイディアの幅は狭まる。それぞれ異なる経験を持つ人達、異なる境遇の人達、異なる状況にある人達が集まっている集合の方が、そこから生まれる発想やアイディア、意見も間違いなく多様になる。画一的な集団からは新しい発想や意見が生じにくい。新しい発想や意見が生じにくいならば、その集団では基本的に前例踏襲する傾向が強まり、結果として進歩的でなくなる。つまり新陳代謝が起きにくくなるし、皆が似た発想・同じ発想ならば問題に気付く確率も下がる。無謀な方向へ進んだ際に止めようとする人も出てきにくい。更には、他の集団が前進すればその分取り残されていくことになる。攻殻機動隊ではそれを「同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる」「特殊化の果てにあるものは緩やかな死」と表現している。
たとえば、日本生まれ日本育ちの大和民族ばかりの国では、それに偏った傾向が間違いなく生まれる。ただしその偏りは決して全否定されるべきものではない。男子校に女子トイレが少ないのは差別だ、という話やその逆にはあまり合理性がないのと同じだ。日本生まれ日本育ちの大和民族が多い国で、その好みや風習に沿った環境が形成されるのは当然だ。しかし、それは少数派を無視・排除してもよい理由には絶対にならない。高齢男性ばかりの集団からはその目線の発想だけしか出てこないだろう。日本の男女比はおよそ半々なのに、国会議員の女性割合はたったの1割程度でしかない。
日本では様々な面で多様化が遅れている。先進国で唯一同性婚や選択的別姓を制度化していないのはその象徴だ。女性の地位向上も遅れに遅れている。最早取り残されていると言っても過言ではない。この投稿で「組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死」という台詞を取り上げた理由は、この記事を見たからだ。
女性新人候補わずか1% 衆院選でも伸びない自民党のお寒い現実 | 毎日新聞
新人女性候補の割合は自民党1・1%、公明党ゼロとごくわずかで、特に与党で新たに女性を擁立する動きがほとんどない現状が見えてきた。
衆院の女性議員割合は、2021年10月時点で10・1%。1980年代まで1~2%台と低迷が続き、90年以降は上昇傾向にあるものの、日本で初めて女性が参政権を行使した46年の衆院選の女性当選者比率(8・4%)から、1・7ポイントしか上がっていない。後述するが、世界各国と比較してもかなり低い数字だ。
参考に、これまでに自民党と男女格差について書いた投稿へのリンクを貼っておく。