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獲物の解体は残酷か


 テレビ朝日が土曜の22:00に放送している”陸海空 地球征服するなんて”という番組がある。様々なテーマで海外ロケを行うバラエティ番組だが、最も人気なのは古くからの伝統を守るアマゾンの部族を取材し紹介するパートで、番組レギュラー放送開始時は23:15スタートの番組だったが、そのパートだけのゴールデン特番を複数回放送し、この秋から現在の時間帯に放送開始約半年という短期間で昇格した。時間帯が繰り上げられたことで内容がマイルドに抑えられてしまうのではないかという懸念を自分は感じていたが、今のところそのような傾向は感じられず、毎週楽しみにしている番組の1つだ。
 番組では、今も狩猟を生業にしている部族の紹介などで猿やアリクイ・ワニなどを銃で撃つシーンが紹介されるし、もちろん狩った獲物を食べるシーンも紹介される。ゴールデン特番などでは時間帯による配慮なのか、そのような場面にモザイク処理が行われたり、そのような部分のVTRはゴールデン特番ではなく、主に時間帯の遅い通常回で放送されるというような対応がされていたようだ。先週と今週は土曜22:00に放送時間帯が移動してから初めてそのようなシーンを取り上げたが、そのようなシーンの前に”閲覧注意報”というテロップと注意すべき部分がそれから何分間続くかが画面に表示されていた。該当する部分は大体獲物の解体や、丸焼き調理などに関するVTRだ。
 昨日の放送では姿焼き状態の猿を食べたり、丸焼きの猿の目玉・頭を割って脳みそを食べるというVTRが放送され、それについて閲覧注意報が表示され、VTRをスタジオで見ていた出演者が「うわー」などと放送して大丈夫?とか見てられないというようなニュアンスの嫌悪感を示す場面があった。それを見ていた自分はとても強い違和感を覚えた。

 
 どこに違和感を感じたのかといえば、生活の為に古来から行ってきた狩猟や獲物の解体・丸焼きにして食べる場面の何が放送に適さないのかということだ。確かに私たち日本人の大部分は狩猟民族ではなく、農耕を中心に生活してきた民族で、猿等の丸焼きは見慣れたものではなく、そこにグロテスクさを感じる人がいることも理解できる。しかし狩猟で捕らえた獲物の解体に関しては、私たちが普段目にすることはあまり無いかもしれないが、多くの日本人は牛豚鶏の肉を日常的に食べているし、その為に屠殺・解体も日常的に行われている。確かに夕食を食べならが見たいようなシーンではないだろうが、毎日のように肉を口にするのに動物を食肉へと解体するシーンを残酷とかグロテスクだとか言える感覚が自分には理解できない。しかも料理番組が日常的に放送され、魚料理を紹介する際には3枚におろすという解体方法を普通に紹介しているし、グルメバラエティ番組などではうなぎ屋を紹介する際に、うなぎの目玉に目打ちを指しておろすなんてシーンが映された後に、うな重を見て”おいしそう”と感じるのと一体何が違うというのだろうか。丸焼き・姿焼きだって同じことだ。私たちは多くの魚を丸焼きで食べる。目玉や脳みそ部分だって普通に食べる。”ぶりかま”などのような頭だけを丸焼きにした料理も決して珍しいものじゃない。
 哺乳動物の屠殺・解体をグロテスクとか残酷と感じるのに、魚類の丸焼き・3枚おろしなどに似たような感覚を持たない理由には、日本人は仏教の教えの元、哺乳動物や鳥などを殺したり食べたりすることを、何百年もの間基本的に良しとしてこなかった一方で、海に囲まれた地理的条件があり、古来から漁業が盛んで魚を食べることは嫌悪されてこなかったこともあるかもしれない。しかし食肉文化が一般化してから既に100年以上経っていることも事実だし、古来から狩猟を生業にしていた民族が猿等を捕らえ解体したり、丸焼きにして目玉や脳みそを食べることと、日本人が魚を丸焼きにして食べることに大きな差があるとは言えないのも事実だ。

 もしかしたら現状は、多様性や自分達と異なる文化を認められるようになるまでの過渡期なのかもしれないが、例えばテレビで以前より性に関する表現規制が強められていることを考慮すると、今後更に狩猟やその周辺の食文化などについても画面に映すべきではないという風潮が高まるかもしれないとも懸念してしまう。性描写や残酷であるとされるシーンがテレビで流されることについて不快感を示す人は、子供に対する悪影響への懸念を根拠にすることがしばしばある。しかし、性描写に関する表現はテレビでは規制が確実に強められているが、性犯罪が顕著に減ったという話を聞いたことはない。むしろ性へのタブー視が強まったせいで若者が性への興味を失ったり、性について気軽に話せない空気が広がっているのではという懸念を感じることもある。勿論それに関しても何か調査をしたわけでもないし、明確な何かしらの数字があるわけでもなく、単に個人的な感覚でしかないが、明確な因果関係があるわけでもないのに、兎に角”臭いものに蓋”をして不安感を解消しようという風潮に疑問を感じる。性暴力や無駄に動物を殺傷することを肯定するような表現は規制する必要があるかもしれないが、今の風潮は極端に自主規制をしすぎていると自分は感じる。
 ”陸海空 地球征服するなんて”に限らず、食や畜産に関して紹介する番組すら、食肉への加工・屠殺・解体を積極的に紹介するなんて番組は殆どなく、そのような表現が必要であってもモザイクをかけたり、実際に解体を行うシーンだけを省いて、そのような場面が大人の事情で省かれたと視聴者が察するように仕向ける演出を行ったりしている。確かに夕方6:00-8:00という夕食時などの時間帯にわざわざそのようなシーンを映す必要はないかもしれないが、毎日何かしら肉を食べているのにその肉が自分の口に入るまでに、どのような経過を経ているのかを残酷だなどとしてタブー視することの方が、よっぽど子供に悪影響を与えるのではないかと自分は思う。
 
 あるバックパッカーの友人の話だが、彼がキルギスで遊牧民の家族にお世話になった時に、もてなしとしてヤギを一頭ご馳走してくれることになったそうだ。その時友人はその家族のお父さんに「お前が私たちの家を訪れたお祝いだから、あなたがヤギを絞めて」と言われ、彼はどうしても出来なかったらしく、それから4本足の動物の肉を積極的に食べなくなったそうだ。鶏についてはヨーロッパの農場で世話になった時に、絞めることが出来たので普通に食べられると言っていた。
 彼の感覚が真理だとか、肉を食べるなら食べる動物を絞め殺せて当然だなんて言うつもりはこれっぽっちもないが、いろいろな種類の肉を食べているのに、それが食肉になる課程を残酷だとしてみたり、魚は丸焼きにしたり3枚おろしにしたり普通に出来るのに、それが哺乳動物だと残酷だ言ってみたりするのは、全く理解出来ない話だと切り捨てることはしないが、自分にはかなり自分勝手な感覚のように思えてならない。

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