うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするようにバックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞した。
バックトゥザフューチャーは1985年に公開されたハリウッド映画で、タイムマシーンで過去や未来を行き来するSF作品である(バック・トゥ・ザ・フューチャー - Wikipedia)。続編のパート2は1989年、完結編のパート3は1990年に公開された。
この作品には、過去や未来の自分や家族などに出会うという設定から、1人の俳優が何役もこなしていたり、それぞれの時代が過去や未来とつながりを持っていることを表現する小ネタが至る所に張り巡らされていたりと、そういうものを見つける楽しみ方もある。3作を続けて見ると、前作の記憶が新鮮なうちに次の作品を見られるので、そんなことに気付きやすい。例えば、1では主人公マーティの彼女・ジェニファー役をクローディア ウェルズが演じていたが、彼女が母親の看病のため俳優業を一時休業したため、パート2/3ではエリザベス シューに代わっている。1の最後のシーンにジェニファーがおり、2はそのシーンから始まる為、1と2を続けて見ると役者が変わっているのが一目瞭然である。だが、1をビデオで見てから1年以上を経て、劇場で2を見た際はそれに全く気付けなかった。
因みにマーティの父親・ジョージ役も2から俳優が変わっている。特に2では、1の流用シーンではクリスピン グローヴァー、その他のシーンではジェフリー ウェイスマンが演じているのだが、演じた場面の時代が違ったり、同じ時代でも状況が変わったりするので、同じシーンを別の俳優が演じることになったジェニファーのような違和感は全然ない。
今回見ていて印象に残ったのは、1でマーティが1955年に行き、ダイナーで高校生の自分の父・ジョージと始めて合うシーンだった。ダイナーで働いている若い黒人男性・ゴールディ ウィルソンにマーティが「あんたは市長になるよ」と声をかける。タイムトラベルする以前の1985年のシーンで、再選活動をしているゴールディ ウィルソンの選挙カーが走っていたことが(ことの?)伏線になっている。
マーティにそう言われた後に、ゴールディは店の床掃除をしながら「そうだな、市長か!そいつはいい考えだ!俺は市長に立候補するぞ!」とその気になるのだが、すると彼を雇っているダイナーのオーナーが、「黒人が市長になれるはずがない」のようなことを言うのだ。
1955年は、アラバマ州モンゴメリーの市営バスに乗車し黒人優先席に座っていた黒人の女性ローザ パークスが、乗車した白人のために席を空けるように運転手から指示されたのに従わなかった、という理由で逮捕された年だ。この事件をきっかけに抗議運動・モンゴメリーバスボイコットが起こり、更には公民権運動の盛り上がりに繋がっていく(モンゴメリー・バス・ボイコット事件 - Wikipedia)。
ローザ・パークス - Wikipedia
キング牧師らの呼びかけで20万人以上の参加者が集まった、人種差別や人種隔離撤廃を求める「ワシントン大行進」が行われたのは、それから8年後の1963年8月だ(アフリカ系アメリカ人公民権運動 - Wikipedia)。バックトゥザフューチャーの当該シーンはそのような時代背景に沿った内容だ。
映画の中では1985年にゴールディが市長選に立候補して当選する設定になっているが、では実際に黒人首長が誕生したのはいつだったのか気になったので調べてみた。 アメリカではじめての黒人市長(10万人以上の都市)は1967年9月にワシントンD.C.の市長官になったウォルター ワシントンで、初の州知事は1990年にバージニア州知事となったダグラス ワイルダーのようだ。連邦議会議員は1967年に上院議員に選出されたエドワード ブルックで、初の大統領は2009年に就任したご存じバラク オバマだ。
つまり、バックトゥザフューチャー完結から約20年後に初めて非白人のアメリカ大統領が誕生したということになる。今考えると、あの映画が完結した1990年頃は、1960年代から既に20年も経っていたのに、非白人の政界進出はまだまだ黎明期と言ってもよい状況だったんだろう。過去の映画を振り返ると、そんなこともあらためて感じることが出来る。
昨年BLM運動が起きるなど、まだまだ米国における人種差別問題は解消されたとは口が裂けても言えない。しかしそれでも、少しずつは前進していると言ってもよいだろう。
アメリカで公民権運動が盛り上がった時期から約10年程度遅れて、1960-70年代に女性解放運動が盛り上がりを見せた(フェミニズム - Wikipedia)。アメリカではまだ女性初の大統領は誕生していないが、ヨーロッパでは既に女性が国のトップを務めたことのある国も少なくはない。国によっては女性議員の数が4割程度になっている場合もある。
しかし日本ではどうか。国会議員全体における女性比率は14.4%で世界147位で、イラク・サウジアラビア・バーレーン・エジプト・ヨルダンなどの中東諸国よりも低い数値であり、他国で言うところの下院に相当する衆議院に限れば、女性議員比率は更に低い9.9%で、世界190カ国中167位と順位も更に下がる(2020年10/11の投稿)。更には、昨日までの投稿で数日間書いたように、オリンピック組織委会長が平気で女性蔑視発言をやるような状況で、謝罪する体裁の会見で逆ギレまでしてみせた。しかも政府や与党からはその発言を擁護する声まで上がる。
つまり日本は、1960年代と今も変わらない社会が続いていると言っても過言ではないだろう。欧州の幾つかの国のように、過去の人種差別や性差別を改め解消に努め実際に結果を出している国、アメリカのように少しずつではあるが前進している国がある一方で、日本のように60年前の感覚を未だに強く引き摺っている国もある。
気分転換の為にバックトゥザフューチャーを見たはずだったが、社会の状況があまりにも酷いと、その映画からも結局そんな思いに至ってしまったのだった。