スキップしてメイン コンテンツに移動
 

宗教や信仰との付き合い方


 自分には宗教を信仰する気が殆どない。あくまでも「殆どない」であって、全くないわけではない。昨日の投稿で書いた「嘘をついたら地獄で閻魔様に舌を抜かれる」という話も、そんなことがあるわけない、と思ってはいるものの、そのような戒めの必要性はどことなく感じている。だから、宗教を信仰する気は殆どないが、かと言って全くないわけではない。

  しかし、宗教や信仰に対する思いがかなり薄いのは事実で、神社に行っても手を合わせようという気にはならないし、お寺にお参りしようという気にもならない。但し全く興味がないわけではなく、美術的な観点での興味は持っている。だから、美術的に優れていると思えばお賽銭を出そうという気にはなる。しかしそう思う事は稀で、有名な神社や寺でも、スゴイと思える要素がなければ、お賽銭も出さず手も合わせずただ見るだけ、ということの方が多い。

 このように、自分には宗教を信仰する気が殆どない、と数日前まで思っていた。しかし少しその認識が変わりつつある。数日前の投稿にも書いたように、今の自分の状況は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で仕事が激減した、というかほぼ全滅状態の個人事業主で、収入にかなり不安がある状況だ。だから、

おうちからできる支援がある。新型コロナで深刻化、農家のフードロスにどう立ち向かうか。

200箱が10分で完売。「自炊が楽しくなりそう」の声も
という記事を読んでも、「今も収入に不安がない人はいいですよね。自炊が楽しくなりそう、なんて呑気なこと言えて」と感じてしまうぐらいには心が荒んでいる。そんな風に思いたくないが、消費税増税の影響でただでさえ仕事が減っていたのに、新型コロナウイルス感染拡大と外出自粛・休業要請によって仕事の依頼は全滅状態で、にもかかわらず、政府や自治体は焼け石に水・見当違いの策を、しかも未だに時間をかけて検討している、みたいな状況なので、そう思わざるを得ない絶望感や不安に襲われている。
 そんな状況だから藁にもすがる思いで宗教に興味を持ち始めた、という話ではない。そんな状況であるにも関わらず、




など、最近はあまり行かなくなったが、数年前までよく遊びに行っていたクラブの支援要請があることを知って、「これは投げ銭しなくてはいけない!」という気になった。

クラブに支援を。CAMPFIREにてクラウドファンディング実施中の店舗まとめ(随時更新) | block.fm


 このような小箱は、頻繁に足を運ばなくなっても、自分にとってなくなって欲しくない場所で、つまり心の拠りどころのようなものなんだな、と感じた。神社や寺でお賽銭を出そうと思わない自分が、感染症拡大の影響で存続が危ぶまれていれば、今は殆ど行ってないのに投げ銭をしたくなる。そして実際に投げ銭する。それを考えると、自分にとっての信仰対象は音楽で、クラブやライブハウスは神社や寺のような存在、DJやアーティストは神主やお坊さんみたいなものかも…という解釈が湧いてきた。


 また、この状況下で他にも「宗教的だな」と感じられることはある。この期に及んで未だに「政府の下一丸となって」とか「批判よりも協力を」などと言っている人達を見ると、最早宗教的だなと強く感じる。そのような発想の背景には確実に「政府の言う事には概ね間違いはない」という認識がある。そのような認識がなければ、少なくとも「政府や首相も人間なので間違うこともある。間違っていれば批判して方向修正しなくてはならない」となる筈だ。個人的には、「今の政府や首相は間違いを犯すばかりなので、強く批判して早急に退場させないと取り返しがつかなくなる」と考えている。
 4/12の投稿で触れた、星野 源さんが「感染拡大防止の為に家にいよう」を呼びかける為にSNSへ投稿した曲のムービーに、安倍が自宅リビングルームでソファに腰かけて犬をなでたり、ぼーっとお茶を飲んだり、本を読んだり、テレビを見たりする自分の映像を添えてSNSへ投稿した件に関して、「安倍首相も人間、休息は必要です」のような旨の擁護をする人達は、首相動静という、首相の1日を毎日伝える報道の存在を知らないのだろうか。首相動静を見れば、安倍がこの数か月間どんな日々を送っているのかわかる。首相動静を見ていれば、その擁護が如何に的外れかも簡単に分かる筈だ。なにせ安倍は、会見で質問を打ち切って自宅へ帰るような男だ(安倍首相「会見打ち切り」新聞はどう書いた? 言及なしから「内閣記者会」解説まで : J-CASTニュース)。

 また、あまりにも政府や首相が不甲斐ないこともあって、小池都知事を評価する声もしばしば見かけるが、自分からすれば、「なんで今になって?なんで3月冒頭から積極的対応ができなかったの?オリンピック延期決定前にやらなかったの?やってたら休業に踏み切る企業・人はもっと多かったのでは?それによって感染拡大を今以上に防げたのでは?少なくとも1ヶ月は出遅れてる。個人的には2ヶ月遅れていると思ってる」という感しかない。

 人間には誰にでも、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう特性・正常性バイアスというものがあるので(正常性バイアス - Wikipedia)、政府や首相は概ね正しいと思いこもうとしたり、政府や首相に比べて都知事は素晴らしいと感じる人が出てくることも、ある意味では自然なことなのかもしれないが、そのような妄信は、自分にとっては宗教的な信仰のようにも感じられる。しかもその信仰の対象は邪教としか思えない。


 宗教や信仰とは、人の心の拠り所であって、これまでの人間の歴史を見る限り、人間の社会には欠かせない存在である、と言っても差し支えなさそうだが、例えばオウム真理教のような、明らかに不適切で有害な宗教や信仰もある。今のような有事でなくとも、「政府や首相は常に概ね正しい」教は明らかに邪教だし、過去の行いを度外視して「今」だけで評価を決めよう教も、怪しい宗教の恐れが強い。
 宗教は人間の社会に欠かせない存在ではあるが、妄信は間違いなく社会の歪みを生む


 トップ画像は、Photo by Laurent Gence on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。