最近は全く行ってない、というか行けないので、渋谷の再開発が今どうなっているのかは全然分からないが、数年前に桜丘地区が再開発の為にもぬけの殻になった時、渋谷の魅力が減った気がした。確かに同地区は狭い路地が入り組んでいて、決して現代的な町はなかったが、それも渋谷、というか東京の魅力の一つだと思うからだ。
しばしば景観改善の名の元で、電線や電柱、屋外広告物の規制/撤去が話題になるし、実際に行われる。勿論、交通の妨げになっているなど、物理的に撤去や規制が望ましい場合もあるが、それは景観とはまた別の話だ。そのようなものの撤去に関しては、ほぼ大体「欧米では…」という文脈が用いられる。欧米のような街の景観を求めることが決して悪いとは言わない。だが、雑多な景観や街並みだってれっきとした個性であり、間違いなく日本的な部分だ。日本を訪れる観光客の中には、そんな部分を求めている人も決して少なくない。
個人的には、綺麗なだけの街は埋め立てた更地に新しく作ればいい、と思っている。以前からある町並みをわざわざ崩して新しい綺麗な町を作ることには賛成できない。一度失えばもう二度と取り戻すことはできないからだ。そんな再開発の進む渋谷にも、まだ昭和の町並みを維持している地区も幾つかある。山手線の線路脇に小規模飲食店が集まる「のんべい横丁」もそんな地区の一つである。規模は全然小さいが、のんべい横丁は新宿・ゴールデン街の渋谷版のような雰囲気のある場所だ。
そんな小規模で狭い店の集まりである同地区の飲食店も、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、4月から全店が営業を自粛しているそうだ。前述の公式サイトでも告知しているように、現在同地区の存続の為の支援を募っている。朝日新聞がそれに関する記事を昨日掲載していた。
渋谷・のんべい横丁、クラウドファンディングで支援募る [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
このようなことが新聞で紹介されるのは、のんべい横丁の関係者からのアプローチによるのか、記者の自発的取材によるのかは定かでないが、どちらにせよ報道するに値する内容で、記事化は肯定的に受け止めることができる。だがしかし、肯定的に受け止められない部分もある。
政府や都などによる経営者等への支援策は既に報じられているが、一方で支援内容の不充分さ、手続きが煩雑で支援を受けるまでに時間がかかること、支援を受けられる条件が公平とは言えないことなど、その施策の不備も複数報じられている。
前述の朝日新聞の記事を読んで、
なぜ国や都の支援があるのに、のんべい横丁は独自に善意による支援を求めなければならないのかと強く感じた。それはつまり、国や都による支援策が全く不充分、時間がかかり過ぎるなど、期待できない内容だからではないのか。勿論どんな支援だって「ないよりはマシ」だが、その程度のものを有難がるなんて馬鹿げている。税金は上納金ではない。こんな時の為に払っているのに、充分な還元がないなら税金など一円も払いたくなくなる。
朝日新聞の記事にはそのような記述が一切ない。それが同記事の肯定的に受け止められない部分である。
メディアへの不満は溜まりに溜まっている。肯定的に受け止められない記事を書くのは、新聞やテレビなどの既存メディアだけではない。ハフポストもこんな記事を掲載していた。
国家公務員法改正案、「廃案向け調整」と報道 | ハフポスト
政府は、検察官を含む公務員の定年を延長する国家公務員法改正案を廃案にする方向で調整を始めたと、共同通信など複数のメディアが報じた。短い記事なので全文を転載した。この記事自体も共同などの記事を元にしたものだ。この記事で注目したのは、「安倍晋三首相は5月21日、官邸で記者団に対し、新型コロナウイルスの感染拡大による情報悪化を踏まえて再考すべきだとの自民党内の意見に触れ、」という部分だ。この記事を書いた記者は、
安倍晋三首相は5月21日、官邸で記者団に対し、新型コロナウイルスの感染拡大による情報悪化を踏まえて再考すべきだとの自民党内の意見に触れ、「この法案を作ったときと違い、今社会的な状況は大変厳しい。そうしたことを含め、しっかり検討していく必要がある」と述べた。
検察官の定年延長を可能にする検察庁法改正案を巡っては、世論の強い反対を受け、安倍政権は今国会の成立を断念している。
新型コロナウイルスの感染拡大による情報悪化という表現に違和感を持たないのだろうか。少なくとも自分には、何を言っているのかさっぱり分からない。もし安倍がそのような表現を用いたのだとしても、若しくは他メディアの記者がそのような表現を用いていたのだとしても、何を言っているかよく分からない表現をそのまま指摘も推測も示さずに引用することに、一体何の意味があるだろう。果たしてそれは報道と言えるのか。それともハフポストは報道機関ではない、ということなのだろうか。
こんな記事を書くようでは、あれほど必要性を強行に訴えていたのに、当該検事長の麻雀賭博が発覚すると急に関係法案の廃案を決め、煙にまいて有耶無耶にしようと躍起になる、首相や政府や与党のアシストをしたいのか?という気さえしてしまう。
「首相として当然、責任がある。批判は真摯に受け止めたい」と述べた安倍首相に、「で、どうやって責任をとられるのですか?」と、問い返す記者はいないのか。それができないなら、記者ではなくただのご用聞きだ。 https://t.co/U95Iz79hjC— m TAKANO (@mt3678mt) May 22, 2020
このツイートが言っているように、中立だとか公平だとかを大義名分に、他人事を決めこんで、追求すべきを追求できないメディアはもう報道機関ではない。しかも、日本には記者クラブという制度があって、官邸やその他公的機関に取材ができるメディアは限られていて、その大半がこの種の報道しかしない。
今の日本の大手メディアは、裸の王様に群がる太鼓持ちのようだ。時には裸の王様と一緒になって茶番劇まで演じる。全てが、とまで断言する気はないが、この国のメディアはもう概ね死んでる。
トップ画像は、Photo by Charles Deluvio on Unsplash を使用した。