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左と右

 今は、多くの人がスマートフォンやタブレットとワイヤレスイヤホンで音楽を楽しむ。日本の、特に都市部の住宅事情では、スピーカーで大きな音を出すこともままならないから、それは当然の成り行きかもしれない。だが2000年以前を知る世代としては、やはりそれでは物足りない。スピーカーで音を、耳だけでなく体で楽しみたい。


 1980年代、中流以上の家のリビングには大抵オーディオシステムがあった。引っ越しに使う段ボールよりも大きいスピーカーが2つあって、アンプとラジオチューナー、カセットテープデッキ、場合によってはそれにレコードプレーヤーが備わっていた。1970年代に買ったであろう古めのシステムはそれだけだったが、買ったばかりの新しめのコンポなら、それにCDプレーヤーがプラスされていた。
 自分の祖父母世代の家はそうではなかったかもしれないが、高度成長期に青春時代を過ごした自分の親世代にとっては、三種の神器みたいなものだったんだろう。また当時はバブル初期という時代でもあって、ステイタス性みたいなものもあったのかもしれない。
 それまで子供部屋にはラジカセみたいな感じだったのに、バブルも全盛期になると中学生の部屋にもコンポという雰囲気になった。ただリビングルームのコンポとは少し違っていて、アンプ/チューナー/プレイヤーが一体化したミニコンポが主流になっていた。アンプ/デッキ部は一見それぞれが独立しているように見えるが、実際は一体化していて、スピーカーもそれまでのコンポネーントシステムより一回りか二回り小さかった。ソニーの廉価版ブランド・AIWAのミニコンポが人気だった記憶がある。

 その後は音楽を聴く媒体がカセットテープからCD/MDに移り変わり、またバブル崩壊によって「結局集合住宅ではデカい音だせないじゃん、なのにデカいアンプやスピーカーいる?」となっていったのか、ミニコンポは更に小さなミニミニコンポとなっていった。00年代初頭には、最早ラジカセと変わらないサイズ感になっていた。そして00年代以降、音楽をiPodなどのデジタルプレーヤーやスマートフォンで聞くようになると、ミニミニコンポも斜陽となり、ポータブルスピーカーやヘッドホンで聞くのが主流になっていった。
 今でも当然電気系ディスカウントショップにはオーディオコーナーはあるが、コンポやラジカセの売り場に占める割合は、90年代とは比べ物にならないくらい小さくなっている。まともに現物を比べたいなら、ヨドバシカメラのような本格的なオーディオコーナーのある店に行くしかない。

 ヘッドホンやイヤホンは耳に直接装着するので、音が頭の中で鳴っているように聞こえるという弱点はあるが、どこにいても音のステレオ感は同じで損なわれない。一方でラジカセ/コンポ/ポータブルスピーカーは、スピーカーと聞いている人の位置関係によってステレオ感が違って聞こえる。トップ画像のように、システムを一か所にまとめて設置すると、その正面で聞かないとステレオ感が薄れる。ラジカセや一体型のポータブルスピーカーも同様だ。
 左のスピーカーの更に左側で音を聞けば、全ての音が右側から聞こえる。その反対も同様だ。なので、部屋のどこにいてもステレオ感が得られるようにするには、できる限り部屋の両端に左右のスピーカーを離して設置するのが望ましい。サラウンドシステムであれば部屋の四角にそれぞれスピーカーを配置するのがベストだ。


 左右の関係というのは、音やステレオに限った話ではない。相対する関係にある人からみれば、それぞれの左右が反対になる。一例に並んだ時、中心の人は右端の人から見れば左にいるし、左端から見れば右側にいる。つまり左右というのは主観的な定義・評価であって、決して客観的な定義・評価ではない。
 イデオロギーの左右もその例に漏れない。イデオロギー的には、保守・復古主義派を右派、革新・リベラル派を左派と呼ぶ。その起源は、18世紀・フランス革命期の議会で、議長席から見て右側に王政期の制度を残すべきとする保守派、左側に王政期の制度を廃止して共和制に移行すべきとする革新派が陣取っていたことに由来するそうだ。

 右派/左派は明快に区別できるようなものではなく、そこには間違いなくグラデーションが存在するため、左側から、急進左派・中道左派・中道右派・急進右派、なんて言ったりもする。急進左/右派は極左/極右などと呼ばれることもあるし、急進派の更に外側に極左/極右が定義されている場合もあったりする。一般的に極右とされる人達から見れば、自分達以外は全て左派/左翼になるだろうし、その反対も同様で、つまり評価する人の立ち位置によってイデオロギーの左右も、何が左で何が右かは変わってくる。
 しかし、一番右にある者は誰から見ても右だし、一番左にいる者は誰から見ても左だ。つまり、極右や極左に関しては、どう評価しても右でも左でもないなんて言えない。北極や南極よりも北/南がないように、極右や極左よりも右/左は存在しないから、それが右/左であることは明白だ。

Sanae Takaichi launches bid to be Japan’s first female PM | World | The Times

 イギリスのタイムズ紙が9/8にこんな記事を掲載した。因みに英タイムズ紙は世界で最も歴史のある日刊紙で、その政治的な傾向は中道右派とされている。

この記事の見出しは「高市 早苗、日本初の女性総理大臣を目指す」という意味だ。しかし記事のリードにはこうある。

Sanae Takaichi, a right-wing nationalist who used to be the drummer in a heavy metal band, has launched her campaign to become Japan’s first female prime minister by announcing her candidacy for the leadership of the Liberal Democratic Party.  
かつてヘビーメタルバンドのドラマーだった、右翼・国粋主義者の高市 早苗が、日本初の女性総理大臣を目指して自民党総裁選への立候補を表明した。
She committed herself to changing Japan’s postwar pacifist constitution, rejected government apologies for the Second World War and defended her visits to the Yasukuni Shrine in Tokyo, where hanged war criminals are commemorated. 
彼女は、戦後の平和主義的な日本の憲法を変えることを約束し、また、第二次世界大戦に関する政府としての謝罪を拒否しており、絞首刑になった戦犯が祀られている東京の靖国神社への参拝を擁護している。

タイムズ紙は、どう考えても高市を極右と評価している。それが言い過ぎだとしても、間違いなく極右である懸念は示している。
 ラジオフランスの国際放送である rfi:ラジオ・フランス・アンテルナショナルの記事は、もっと明確に極右の懸念を示している。

Japon: l'ultra-conservatrice Sanae Takaichi candidate à la tête du parti au pouvoir

見出しは「超保守的な高市早苗が与党の候補者となる」だ。タイムズ紙と同様の記述以外にも、rfi記事の本文にはこんな記述がある。

En 2016, elle avait menacé de révoquer les droits de diffusion des chaînes de télévision en cas de reportage jugé politiquement biaisé. Le rapporteur spécial des Nations unies sur la liberté d'opinion avait ensuite évoqué « des préoccupations importantes sur le sort des médias indépendants au Japon ». Photographiée en 2011 à côté du chef d'un parti néonazi japonais, elle avait plus tard affirmé avoir été piégée, niant tout lien politique avec l'extrême-droite. 
2016年には、報道が政治的に偏っていると判断された場合、テレビ局の放送権を取り消すと脅した。その後、国連の、表現の自由に関する特別報告者は、「日本におけるメディア独立性が将来的に維持されるかには、深刻な懸念がある」と表明した。日本のネオナチ団体の代表と一緒に写っている写真を、2011年に撮っていた彼女は、それについて濡れ衣を着せられたと主張し、極右との政治的なつながりを否定した。

Extrême droite/極右 という表現こそ使われていないものの、これは、明らかに高市を極右と評価している、少なくとも強い懸念を示していると言っても過言ではないだろう。しかもこの記事はrfiの独自記事ではなく、AFP通信による配信記事である。

 しかも、どちらの記事も前首相の安倍が高市を支持/支援している、と書いている、つまり、前安倍政権、そしてそれを踏襲している現菅政権も、内容的には大差ないのだし、高市はそれらで総務大臣などを務め、紹介されている事案はその当時のことであり、国外から見れば、日本では極右政権、少なくとも極右寸前の超保守派政権が8年も続いている、と評価されているということになるだろう。
 もし直近の自民政権について、中道だとか、明らかに極右ではない、と言う人がいるなら、それはその人自体が極右、少なくとも極右寸前の位置に立っている、ということだろう。

  • 夫婦別姓認めない男尊女卑
  • 同性婚認めない差別主義
  • 外国人の権利を軽視する排外主義

高市に限らず、これらは明らかに現自民党とそれによる政権の方向性だ。夫婦別姓や同性婚は先進国で唯一制度化しておらず、難民受け入れに消極的で、実習生の問題は未だ解消せず、入管における人権無視もかなり前から指摘されているのに頑なに認めない。さらには在日コリアンを始めとして外国人差別も根強く残っているのに、その解消に消極的、これで極右でないというのは無理がある。つまり、自民党は全般的に極右なのだ。


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