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過剰な自粛


 犯罪や不倫など著名人のイメージ的によろしくない事柄(以下、事件と表現)が明るみになると、彼らが絡んだテレビ番組の放映を取りやめたり、それまでに発売した過去のCDを撤去したり、自粛することが当たり前になりつつある。悪いイメージのとばっちりを受けたくないというのは理解できなくもないし、社会的制裁を与えるという意味もあるのかもしれないが、過敏に反応しすぎではないだろうか。


 例えばコマーシャルのようにイメージこそ全てのようなものは、放映自粛・契約解除という処置になっても仕方がないかもしれない。しかし、過去の映画やテレビ番組、CDなどまで、まるでその人が存在しなかったかのように扱うのはやりすぎではないだろうか。しかもそのタイミングは事件が報道された時点が殆ど。嫌疑がかけられただけで裁判すら始まっていないのにである。逮捕は=有罪ではない。民事だとしても訴えられる=悪者確定ではない。

 たとえ有罪が決まっていたり民事敗訴しても、見たくない、聞きたくない人間だけが見なければよいだけの問題で、メディアがクレーム回避のために先回りして過剰に自粛しているのを見ているとある種、人権を無視してリンチに加担しているようにも思える。一度でも過ちを犯したら、はい、そこで人生終わりですよ(笑)と。殺人等の重大犯罪ならまだしも、中には人によって判断の別れそうな道徳感だけでそんなことをしていることもある。

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