若者のクルマ離れと言われて久しい。個人的な感覚だが、90年代は半分以上の男子学生が自分のクルマを持っていた。女子学生も一定数は自分用のクルマを持っていたので少なくとも全体の50%くらいが専用のクルマを持っていたのではないだろうか。神奈川で学生時代を過ごした自分の感覚がこれくらいなので日本全体では所有率はもっと高かったかもしれない。
昨年、横浜市内にある大学の学生5人に聞いたのだが、彼らの周囲に自分用のクルマを持っている学生はゼロだという。専用の乗り物を持っていても原付がほとんどで、ビッグスクーターに乗っているのもいるにはいるがそれも少ないとのことだった。しかし九州の親戚のところに行った際、大学を卒業したばかりの従姉妹に聞いたところ、彼女の周りは中古の軽自動車がほとんどらしいが、ほぼクルマを持っているということだった。
このことから感じたのは”若者のクルマ離れ”ではなく”大都市圏の若者のクルマ離れ”という表現、もしくは”クルマにステイタス感を感じる若者の減少”のほうがより現実にあっているのかもしれないということ。こうなった最も大きな要因は経済的余裕の減少だろう。90年代も中盤以降はバブル崩壊後で経済的余裕があったとは言い難いが、まだまだバブル以前の感覚を社会全体が引きずっていたので経済的に余裕がなくても少し無理してステイタス感を求めていたように思う。それが2000年代以降徐々にバブル的感覚が薄れ経済状況と一致し、クルマ=娯楽・ステイタス(目的)ではなく、クルマ=単なる移動の手段となっていったと感じる。生活に必要な移動手段としてだけなら相対的に高い新車はいらない。現に日本には海外に輸出するほど安価な中古車が溢れている。都市部では公共交通機関が発達しているからクルマがなくても困らないし、渋滞が多く時間が読みづらい自動車移動のメリットも少ない。なのに駐車場代は高く、維持費も掛かるクルマを持とうというモチベーションが沸かないのも当然だろう。本当に必要ならその時だけレンタルすればよい。
経済的・自動車文化的にという観点から捉えれば、いわゆる若者のクルマ離れや新車の販売台数が伸び悩むという状況は好ましくないのかもしれない。しかし一方で排気ガスの地球温暖化の影響や排熱によるヒートアイランド現象への影響、中古車が溢れているのに更に新しくクルマを作り続けることは資源の無駄遣いにも見える、なんて考えてみる新車販売が減ることは悪いこととも言えないだろう。モータースポーツをはじめとした自動車文化全体が人一倍好きな自分は少し複雑な気分になる。