あるテレビ番組のナレーションで「2016年も押し迫った」という表現をしていた。少し引っかかったので、押し迫るの使い方を調べてみると、”押し迫る”には”押し迫る”と”押し詰まる”のどちらが正しいのか、またはその違いは?なんて話題もあるようだがそれは置いておくとして、押し迫るには
- 暮れも押し迫る
- 今年も押し迫る
- 試験が押し迫る
などの使用例が挙げられていた。「2016年も押し迫る」は「今年も押し迫る」と同じ使い方なのだが、”押し迫る”のイメージとは合わないように感じる。
”押し迫る”と聞いてイメージするのは、迫るのイメージからか「現時点で周囲にはないものが近寄ってくる、距離が縮まる」だと思う。このイメージ自体が間違っているおそれもあるが、例文の「暮れも押し迫る」と「試験が押し迫る」は共にまだ暮れが先の状態、試験日になっていない状態で使う表現である。対して「今年も押し迫る」は大抵、例文中の”今年”の10月から11月頃に”今年の暮れ”が近づいてきたこと、つまり「暮れも押し迫る」と同じ意味で使われるだろう。例文中の”今年”は”今年の暮れ”の”暮れ”を省略したものと考えられる。
日本語は表現の省略がよく用いられる言語だ。辞書に使用例が載っているということは既に一般的に許容され始めている表現とも言えるのだが、”押し迫る”の意味がそこにないものが近寄ってくるだとすると、この場合に”暮れ”を省略してしまうと既に”今年”は現時点を含んでいるのに、そこにまた”今年”が二重に近づいてくるという矛盾したイメージにも受け取ることもできるため、個人的には省略するのは格好良くないと思う。省略するのなら”今年”のほうを選ぶべきだ。
”今年も押し迫る”と言えばそれは通常、年の瀬が迫ってくるということを表現しているもので、わざわざ不自然な捉え方をするほうがおかしいという意見もありそうだが、意味が分かりさえすればなんでもよいというものでもない気がする。