とある写真を参考に作成したCGを裁判所が児童ポルノと認定する判決を出した。その元になった写真や作成されたCGを実際に見たわけではないので詳細はわからないが、児童ポルノの定義やなぜ規制が必要なのかということから考えると、果たしてCGを児童ポルノに認定する必要性はあるのかに疑問を感じた。
児童ポルノ規制がなぜ必要なのか。簡単に言えば”分別のまだ備わらない未成年が悪意のある大人に搾取され、傷つけられないように”ということだと思う。その為、性的欲求と満たす為に作成された未成年が被写体のポルノ写真や映像などは規制をするべきだと思う。そこにはかなり高い確率で被害者を生むおそれがあるからだ。しかし、CGや絵画、マンガ、アニメなど想像によって描かれたものはどうだろうか。今回の件のように写真を参考にという条件が付けば被害者が出るおそれもなくはないが、服を着た写真を参考にするなどの場合は、その確立が高いとは言えないと思う。確かに描かれたものがモデルとなった人物を特定できるような質のものであれば、意図的かどうかは別としてその人の名誉を毀損するような場合もあると思う。だからと言って被害者がいないかもしれないものも含めて全てを予防的に規制することには賛成できない。
児童ポルノに敏感な他の国では、CGや絵画、マンガ、アニメであっても全て否定している国もあるだろう。それは宗教的、文化的な道徳心や倫理感がその根底にあると思う。もちろん日本にだって同じような考え方の人もいるだろう。しかし道徳心や倫理感とは絶対的なものではなく、時代・地域・個人が生きてきた背景など様々な要素で多種多様な考え方が存在する。例えば今回の件ではCGということになっているが、児童かどうかは別にして、ポルノCGというと”変態趣味”や”オタク”なんてイメージを持つ人が多いと思う。だが裸婦を描いた油絵と言ったらどうだろう。もちろんCGと同じイメージを抱く人もいるだろうが、”芸術”というイメージを抱く人はCGよりも多いだろう。というかそもそもポルノ油絵なんて言い方すら思いつかない。しかし同じものを対象に同じ人が同じ構図で描いたとすれば、油絵とCGの差は描くのに使用した道具や材料、方法が違うだけで、本質的な内容は同じものだ。油絵は芸術で、CG、マンガ、アニメはそうではないと言うのは前時代的、差別的と言えると思う。
個人的には未成年の裸体を写した写真や映像だって全てが児童ポルノとは言えないと思う。もちろん性的欲求を満たすために作られるものは児童ポルノとして規制すべきことは間違いない。しかし、あまりに規制しすぎたり、偽善的ともいえる道徳観を押し付けられると息苦しい世の中になってしまうと思う。例えば、親が子供を海や川で遊ばせる場面を想像する。最初から泳がせるつもりがなく、水着を用意していなければ全裸で遊ばせることも不自然なことではない。そんな場面を思い出として写真に残しておきたいと思うこともあるだろう。しかし規制が厳しすぎれば写真をとることどころか、全裸で遊ばせることも躊躇しなければならなくなる。少し前に女児の着替えを男性保育士にさせないでくれと要求する親がいるということが話題になったが、そんな考え方が行き過ぎれば、虐待する親もいるからという考えの下、実の子供であっても父親が女児と入浴すれば非難されるなんて世の中になってしまうかもしれない。そうなれば逆に母親が息子のおしめを換えたり、風呂に入れることもできなくなるなんてこともありそうだ。最後の例は極端すぎると分かっていて書いている。
また、CGやマンガ、アニメなど被害者がいるおそれの少ないものでも、その内容に影響されて現実に性犯罪が起きることを懸念し規制するという考え方もある。これについても過激な描写、犯罪行為を全面肯定する描写などにはある程度の規制は必要かもしれないが、全面的に規制してしまうと逆にそれらのCGやマンガ、アニメが抑制している部分も同時否定してしまい、逆効果を生むことだって考えられる。他人に理解されにくい性的嗜好を持つ人は現実に存在するし、人の嗜好そのものを犯罪化するということは不可能だ。創作物まで全面規制すれば、そういう人たちが現実の犯罪に走る可能性を結果的には増やし、道徳観を他人に押し付けたことが余計な被害者を出すということにつながることも考えられる。というか、上記のような理由で規制が必要なのであれば性犯罪かどうかとは関係なく、模倣犯を生みそうな創作物は、すべての映画・音楽・漫画・ゲームなどにも必要だということになるだろうし、犯罪の報道から愉快犯が生まれるおそれがあるならば、極端に言えば報道自体を自粛しなければならないという事態にもなりかねない。
重要なのはどこで線を引くかということだ。個人的には被害者がいるかどうかが最も重要で、誰も被害を受けない可能性が強いのに、被害者が出るかもしれないから予防するという名目の下で道徳観を押し付けることが行き過ぎれば、それは結局諸刃の剣となってしまうかもしれない。正義感や道徳観を重視しすぎた息苦しい世の中は一方でストレスにもなる。