スキップしてメイン コンテンツに移動
 

メディアの信頼度


 人間の活動する範囲が広がった現代では、生きていく上で実際に自分の目の届く範囲だけでなく、もっと広く情勢を知ることが不可欠だ。しかし一人でその必要な情報を自らの目や耳で直に仕入れることはおよそ不可能で、メディアを通じた伝聞という手段を使わないわけにはいかない。

 現在の主要なメディアには新聞や雑誌(出版物)、ラジオやテレビ(放送)、ウェブサイトやSNS(インターネット)などがある。新聞などの出版物は社会に登場した時期が最も古く、新しいメディアに比べるとやや劣勢になりつつあるとも言えるが、その歴史分だけの権威をまだまだ持っている。テレビを中心とした放送メディアは、放送の登場前のNo.1メディアだった新聞よりも即時性に優れ、基本的に受け手が払うコストが低く、音声や動画を使用できるため直感的に理解しやすいなどの点から、徐々にその立場が新聞と入れ替わり、直近50年間で最も影響力のあるメディアである。90年代から一般化したネットメディアは、新聞やテレビよりも情報を発信するのに必要なコストが低く、誰でも情報を提供する側になりやすく、双方向性もあり議論を生みやすい。その点から新聞やテレビ局もウェブサイトを作ったり、情報提供元になるなど既存メディアを取り込みつつ徐々に勢力を伸ばし、No.1メディアの座をテレビから奪うのは時間の問題とも言われている。


 トランプ大統領が既存メディアを”嘘つき”と攻撃する姿が報道されているが、ネットが普及し始めてからしばしば「ネットは情報発信が一部の人に限定されている既存メディアよりも偏りが少ない」というイメージが語られる。情報を発信する人の数が新聞・テレビ等よりもネットの方が多いのは確実である。スポンサーや政治家など利害関係のある人々の意向に偏った報道を、新聞やテレビが行う傾向は多からずあると思う。しかし新聞、テレビ等のメディアは”誰が”情報を発信しているかにある程度透明性があり、仮に嘘をついたとしても誰が嘘をついたかが分かるという側面もある。逆に言えば新聞、テレビでは出所の不確かな情報は扱われにくいし、嘘を流したことが発覚すると相当非難され制裁を受けるおそれがある。

 一方でネットメディアは情報発信が手ごろに行え、様々な立場の人が情報の送り手になりえるため、既存メディアよりも利害関係にとらわれない情報が発信されやすい。その点では偏りづらいと言えるかもしれない。しかしネットはその匿名性から身元を隠した情報発信もしやすく、嘘をついても既存メディアに比べてリスクが低いため、誇張した情報、もしくは現実には全くそぐわない情報を発信しやすいという面もある。また、匿名性を利用して少人数でも大勢の意見であるように見せかけることも既存メディアよりしやすい。そしてネットメディアでの情報収集は既存メディアとは比較にならないほど情報量が豊富で、より能動的に情報収集を行う必要があるため、自分好みの情報は触れる機会が増え、好まない情報に触れる機会は減る傾向になりがちである。このような点からは、現実とはかけ離れた偏った情報が蔓延しやすいとも言える。

 つまり既存メディアだから、ネットだからという理由だけで情報の信憑性について論じることは無意味なことだと思う。新聞・テレビ・ネットのどれでも、流れてくる情報を常に鵜呑みにせず、その信憑性を検討する、なるべく自分の視点以外でも考えてみる必要があるということだ。写真や映像であっても加工技術が発達した現在では、そこに悪意のある演出を加えたり、全くゼロから描き出したりすることも可能だ。この状況は、どのメディアも相対的には信頼性が低下したとも言えるので、考えることを常に要求される。常に情報の信憑性を考えなければならないことに疲れた人々の中には、意識的・無意識的に自分の好みや、自分にとって都合のよい情報へ偏った見方をしてしまう人もいるだろう。このような状況が昨年のイギリスのEU離脱やヨーロッパ各国での極右勢力の台頭、アメリカ大統領選挙の結果など、排外主義的な状況を生んでいる要因の1つなのかもしれない。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。