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裁量労働制に有利なデータの不適切さ発覚から想像すること


 先週の国会審議の中で、安倍首相が今国会の目玉政策に位置付けている”働き方改革”法案に関する答弁を撤回・謝罪する場面があった。それは、裁量労働制の拡大に関する議論の中で、首相がその合理性の根拠について「裁量労働制で働く労働者のほうが、一般的な労働者よりも労働時間が短いことを示すデータもある」などとした発言についてだ。野党などの指摘によって発覚したのは、そのデータの不適切さで、残業時間の調査に関して、1日の残業時間が14時間、法定労働時間と合わせて1日23時間労働することがある、要するに睡眠時間1時間以下で労働することがあると回答した事業所が9社あったとする調査結果が示されていたこと、また、平均的な労働者の残業時間を1時間37分としているのに、1週間の合計は2時間47分としているなど、不可解な点が複数指摘された。
 当初厚生労働大臣は問題のない調査結果であるという見解を示していたようだが、この指摘を受けて、政府・厚労大臣は「データを撤回し精査する」とし、今朝これについて厚労省から見解が示され、一般的な労働者に対しては”一か月で一番長い残業時間”でデータを集め、裁量労働制の労働者に対しては”特段の条件を付けず、単に一日あたりの残業時間”と質問してデータを収集し、異なる条件で比較が行われた不適切なデータだったと認めた。

 
 不適切な統計方法でデータが作られたこと、適切な労働環境の実現を最も目指すべき厚労省の役人がそんなことをしていたこと、この件によって今後厚労省の出すデータには、その信憑性について高い疑念をもって接する必要があることが明確化したことともかなり残念だが、まず、率直に自分が感じたことは、厚生労働大臣も首相も、本当にデータの不適切さに気が付かなかったのかという強い疑問だった。
 主に積極的な政権支持者達から、「官僚の不手際の責任を政権に押し付けるのはお門違い、単に安倍憎しというだけではないのか?」という見解が示されているが、ということは、彼らは、安倍政権は官僚の言うがままに答弁する単なる代弁者の集まり、若しくは、野党議員らがすぐ気付くような不備に気が付くことすら出来ない注意力に欠ける人達、などと認識しているということになりそうだ。
 例えば、昨夜報道された「世耕経産大臣の秘書がタクシー運転手に暴行を働き逮捕」のような件で、勿論世耕大臣に全く監督責任がないとは言えないが、それでもその責任を世耕大臣に必要以上に求めるのは適切ではないだろうが、厚労省の役人を束ねているのは確実に厚労大臣だし、更に彼を任命し、彼ら大臣を束ねているのは日本の全ての行政機関の長・内閣総理大臣だ。しかも働き方改革法案については政権が主体的に推進しているものであって、官僚らはその手足となって資料や法案を準備しているという側面も確実にあるのだから、データの合理性を適切に判断できなかった責任は大臣らにもある。だから、安倍首相はすぐに非を認め、そのデータに基づいた発言を撤回し謝罪したのだろう。すると今度は「謝罪し撤回したのだから、それ以上責任を追及する必要はない」などと言われそうだが、いくら謝罪をしようが撤回しようが、一度発した言葉は消えてなくなり全てチャラになるわけではない。
 政権側は「裁量労働制の拡大に関しては、このデータだけを根拠うに検討されている訳ではないので、法案自体を撤回する必要はない」というような見解を示しているようだが、長時間労働が大きな社会問題になっており、過労が原因とされる自殺・事故が一向になくならない状況で、本来国民の労働環境を積極的に守る必要のある厚労省が、労働者に不利なデータを作成し、そんなものが政策の合理性の根拠の一つに並んでいたことは、個人的にはかなり深刻な事態だと考える。
 
 自分が以前働いていた会社に、ある年取引銀行を定年退職したおっさんが顧問として天下ってきた。最初は銀行から融資を得るのに必要な人材なのかな?ぐらいに思っていた。その会社は従業員30人に満たない零細企業だったが、それまでは一応残業代は適切に支払われていたし、取得できなかった休暇も金銭的に処理されていた。しかしそのおっさんが顧問になった次の期首、急に「今季から給与を年棒制とする」と経営者が言い出した。明らかにそのおっさんの入れ知恵だった。その頃は景気も芳しくなく、業績はお世辞にも良いとは言えず、もしかしたら銀行から融資を受ける条件として求められた、苦肉の人件費抑制策だったのかもしれない。その年俸制を理由にその年から残業代は一切支払われなくなり、取得できなかった分の有給や休暇分の金銭処理も廃止された。有給を積極的に取得できるような環境は元々なかったし、それを改善しようという動きも全くなかった。言い換えれば、サービス残業を遠回しに強制されただけだった。
 年俸制なんて名ばかりで、年俸に関する契約書も、額面の交渉の機会も一切なく、給与はそれまでと一切、一切は言い過ぎかもしれないが、殆ど変わらなかった。人によっては下がる場合も当然あった。その会社は小売業の会社で主に外商部と店舗販売があった。外商部は労働時間や休日をある程度個人で融通出来る環境にあったが、店舗販売に関しては、営業時間と定休日が決まっているので、労働時間も休みも全く個人ではコントロール出来ない。「シフト制なら営業時間や定休日が決まっていても、ある程度は融通が利くのでは?」と思う人もいるかもしれないが、当時店舗販売に関わる人間は2人。その内の1人が自分だった。店の営業時間は1日9時間、店頭での小売りというのはいつ客が来るか分からないので、全く自分のペースで仕事することが出来ない。単に売り子をしているだけなら、客がいない時間は暇かもしれないが、当然そんな状況ではなく客から受けた注文の処理や通販の対応、日々の在庫管理・商品補充の為の発注業務など事務仕事も多い。自分のペースで効率よく事務仕事が出来るのは営業時間外だし、勿論営業時間の前と後でないと出来ないこともそれなりにある。しかも外商の繁忙期には、外商部の仕事を手伝わされる事も珍しくなかった。日常的にどんなに短くとも営業時間以外に1時間は働く必要性があり、繁忙期には5時間程度の時間外労働が数日間続くこともザラで、そんな状態が続く月が年に少なくとも2か月間はあった。また、週1・およそ月4日の定休日も、新商品説明会だったり棚卸だったり、全てが全て休めるわけではなかった
 そんな状況は年俸制を言い渡される以前からで、月の休みが2日以下とか、最悪1か月以上の連続勤務なんてのも年に数回はあった。しかし、年俸制なんて言い出す前は残業代や休日出勤(一応建前上4週6休の会社だったので、休めなかった日数分という意味)分は給与に加算されていたので、「小さい会社だし、休めないのも仕方ない」とある程度は納得していた。しかし、年俸制を言い渡された最初の年は最悪の年になった。それまでの基本給分だけで年間休日35日で働いた、と言うより”働かされた”。ちなみにこの35日には、お盆休み5日分と年末年始の休み4日分が含まれている。流石に不味いと経営者も感じたのか、その翌年からはアルバイトが補充され、幾分状況は改善したが、それでもサービス残業の常態化は変わらなかったし、週1の休日さえままならない状況は残った。
 
 自分は既にその会社を辞めているが、今もその会社は存続しているし、恐らく訳の分からない”年俸制”なんて話の元で働いている者が今でもいるのだろう。今考えると、さっさと労働基準監督局に駆け込むべきだったとしか思えないが、当時は大した知識もなく、また、自分が労働基準監督局に駆け込めば、会社の業績に影響を与え、不満は感じつつも働いている他の従業員らが結果的に不利益を被るかもしれないとも思え、そうするには至らなかった。比較的規模の大きい企業はともかく、所謂中小零細ブラック企業が一向に減らない理由には、強い不満を感じてはいるが、自分と同じような感覚を持っている者が少なくないということがあるのだろうと想像する。こんな理不尽な状況が確実に存在することを、自分は身をもって体験しているので、「裁量労働制の方が従来方式の労働者より労働時間が短いという場合もある」なんて言われても、そんなケースは全くゼロとは言わないが、そんなとても稀なケースを強調されても合理性があるとか、長時間労働が改善するとか、生産性が向上するなんて、決して感じられない。
 要するに、厚労省の不適切なデータに不自然さ・不適切さを感じず、そんな話を根拠にして法案の合理性を強調した首相は、一般労働者がどのような環境で働いているのかを全然把握していないのだろう、経済成長が重要などと言い換えて、企業経営者の利益ばかり重視しているのだろうと思えてしまう。
 
 また、今回首相は珍しく早々に自身の発言を撤回し、謝罪をしたが、その背景には「自分は、(朝日新聞などと違い、)間違いを間違いと素直に認め、謝罪することができる」ことをアピールしたかった、ということもあるのだろうとも思えてしまう。この裁量労働制拡大の件と同時に、森友学園問題に関して、当時の財務省理財局長が虚偽答弁をした疑いも指摘されているが、彼を国税庁長官に任命した首相や財務大臣は、適材適所の人事と主張し続けている。要するに、「佐川氏の虚偽答弁の疑いを否定しているのは、それが事実だからであって、厚労省のデータに関する話のように、自分たちは間違っていれば間違っていると認めることが出来る」とアピールしたいのだろう。
 ここからは流石に勘繰り過ぎかもしれないが、その為に、厚労省作成のデータの不適切さを認識した上で、わざと敢えてそれを根拠として答弁を行い、指摘を受けて撤回・謝罪するという荒業を繰り出したのではないか、とも想像してしまった。この話が盛り上がれば、その分佐川 元理財局長の虚偽答弁について指摘される機会が減ることを考えれば、絶対にそんなことはないとも言い切れないのではないだろうか。これまでも、あの手この手で森友・加計学園問題に関する議論をなりふり構わず出来る限り避けようとしてきた経緯があるのだから、そんな思惑も、もしかしたらあったのかもしれないなんて想像してしまう。

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