コンビニ・セブンイレブンのある店舗で、病欠したアルバイトの女子高生に対して、病欠した時間分の時給に相当する金額を給与から罰金として差し引いたことが発覚し、本部が労働基準法に反するとして店舗経営者に是正を支持したというニュースが話題になっている。これ以外にもコンビニや飲食店チェーンなどを中心に、アルバイトを始めとした従業員に対する所謂ブラック企業的な対応が、ここ数年たびたび話題になっている。コンビニの経営者に最も責任があるのは間違いはないが、コンビニ本部にも、このような店舗を除名処分にするとか、もっと加盟店の経営を助けるような構造を作るとか、積極的にそのような事態を生まない環境作りをする責任があると思う。しかし国も企業も抜本的な解決策を実行するのに消極的なようだ。まるで利益最優先で、それに影響を及ぼす恐れのある労働環境改善には及び腰のように思える。このような状況になっているのは、様々な要因があると思う。今回のニュースを見て直感したのは、忍耐・勤勉を美化しすぎる日本の悪しき習慣と行き過ぎた資本主義の結果ではないだろうかということだ。
日本は戦中の全体主義的な社会や、戦後の高度経済成長期等の働き方などを背景に人より働くことが最高の美徳で、休むことを蔑む傾向が他国に比べて強い気がする。もちろん勤勉であることは日本人として誇ることでもあるが、現代の日本が身体的・精神的健康を害しても勤勉であることを、半ば強制されるような社会になってしまっているのはむしろ恥じるべきだろう。学校の部活などで先輩に理不尽な事を強要されることが、「伝統・しきたり・我慢することを覚える為」などを理由に容認されがちな風潮があると思う。同じことが社会に出ても多々ある。社会に出てからも、雇用者と被雇用者などの上下関係は存在し、立場の弱いものが理不尽な対応に異論を唱えても「努力が足りない・自分も同じ思いを歯を食いしばって我慢した」などと学生時代と同様に強引に正当化される。自分が歯を食いしばるほどつらい思いをしたのに、その嫌な事を他人にさせるのはすばらしいと言えるだろうか。また、立場の弱いものは異論を唱えて解雇されれば生活が立ち行かないなど、経済的にもそういった状況に流されがちである。
現政権が毎年お題目のように唱えている”経済最優先”という姿勢も、経済性を優先するあまりに大企業から立場の弱い中小企業へ、そしてその元で働く労働者へとしわ寄せが押し付けらる原因の1つになっている気がする。収益増加・競争力強化のためにサービスを向上したり、低価格で商品を提供したいということはわかるが、そのためには相応の賃金など対価を労働者に与えるべきだろうが、それも売り上げ向上のために抑制され、結局経済ピラミッドの上流にだけ利益が蓄積されるような構造になっているようにも思える。さらに低コストでのサービス向上を求められるため、それに伴う人員は追加されず(できず)、末端の労働時間は増加し、休暇は減る傾向になり、それが労働環境悪化につながっているのではないのだろうか。昨年末に話題になった電通過労自殺事件で残業時間や残業の強制などが再び問題になっているが、このような問題は20年以上前から何度も繰り返されているにも関わらず、全く解決に向かう気配が感じられない。現在国会では残業時間規制やインターバルについて議論しているが、目に見える対価が支払われる大企業での残業でさえ自殺者を生んでいるその陰には、目に見えない給与さえ貰えない中小企業におけるサービス残業とその犠牲者が、目に見える残業の何倍もあるだろう状況なのに、そこから目を背け、見える残業時間だけを規制しても、結局ほとぼりが冷めた数年後には”結果が伴わないのは努力不足”などを大義名分に強制されるサービス残業が大企業でも増え、同じような事件が繰り返されてしまうのだろう。まるで政治家と資本家が手を組んで「経済最優先=経済性のためなら犠牲になる人がいても構わない」と収益に影響を与えかねないので、抜本的な解決は行えないと言っているようにも見えてくる。これでは世界的に批判を浴びているあの国の大統領の○○ファーストという考え方と同じではないだろうか。
このような状況を打開するためには、消費者側も必要以上にサービスを求めることには注意をしなくてはならない。労働者に無理を強いるほどのサービスをしている企業には、消費者側からも懸念を示す必要がある。度を越えてサービス・勤勉さを求めすぎることは、結果としてブラック企業的な体質を後押しすることになる。自分とは関係ないように思えても自分の家族・友人が働いている企業がそんなところだと分かれば他人事ではないと感じられるだろう。自分の子供に「熱があろうが働け、死んでも休むな」と言える親がどこにいるだろうか。「自分さえよければいい」という利己主義は百害あって一理なしである。最終的には自分へも害が跳ね返ってくることになりそうだ。