千葉市が一部のコンビニで成人向け雑誌を販売する際に、表紙を不透明フィルムで覆い隠すという取り組みを始めると発表し話題になっている。その理由は、女性への配慮や青少年の健全育成、オリンピックに向けて外国人への配慮をすることによる都市のイメージアップなどらしいのだが、果たしてそこまでする必要が本当にあるのだろうか。一部のコンビニに限定して”隠す”ことに意味があるのか疑問を感じる。
まず外国人に向けた対応という理由だが、外国人に批判されるからといって対応を変える必要が本当にあるのか。一口に外国人といっても国、宗教、地域、さらに言えば個人によって考え方はまちまちであると個人的には考える。他国の価値観に学ぶべきところがあることも事実だが、他国の基準に日本が必ず合わせなければならないということではないだろう。
次に女性への配慮という理由。基準がよくわからないのだが、ポルノグラビアなど男性向けの成人雑誌は過激で卑猥、レディースコミックなど女性向けの成人雑誌はソフトなのでそこまで卑猥ではないというような見解が一般的である気がするが、それは単に男性と女性の好みの傾向の違いであるだけのように感じる。一部の女性が「男性向けポルノ雑誌の表紙は過激で目にするのが不愉快だ」ということがあるようだが、コンビニの雑誌コーナーにいろいろな雑誌が無頓着に置かれているわけではなく、成人雑誌コーナーにまとまっている。見たくないならコーナーに近づかなければよい。ATMなどがその周辺にある場合、見たくなくても近づかなければならないというのなら、ATMなどの設置場所についての基準を考えてもよいはずなのにそういう話にはならないのは何故だろうか。コンビニで成人向け雑誌が売っていること自体が不愉快ということであれば、それはそれで別の問題を引き起こす恐れがあり、不愉快だから無くせというのは危険な思考だと思う。
最後に未成年について。教育上よくないから未成年の目につかないようにということであれば、”隠す”ことは全く有効とは思えない。子供は禁止されればされるほど興味を惹かれるという側面があり、現在のようなネット社会であれば、どうにかして見ようとすれば見みられるものをわざわざ隠すことは、余計に子供の興味を惹くだけではないのか。一部のコンビニでだけ成人向け雑誌の表紙を隠しても、他のコンビニ、本屋、ネットについては何の言及もなく、そんなことに果たして意味があるのだろうか。個人的な感覚だと小学生の高学年になれば自然と異性に対する興味が沸き、男子なら確実に女性の裸に興味を持つはずだ。だからどんどん成人向け雑誌を読ませたほうが良いなどとは断じて思っていないが、現状のままでもよいのではないかと思う。健全育成を考えるなら一部のコンビニで成人向け雑誌の表紙を隠すより、性教育を現在よりさらに充実させる方がよっぽど有効な施策と言えるのではないだろうか。
何よりも”隠している”ことがわかる隠し方ではこの方針に意味は全くないと感じる。どうせやるなら成人向け雑誌の表紙を隠すのではなく、隠していることがわからないようにしなければ中途半端である。結局行きつくところはコンビニで成人向け雑誌を販売することを規制するべきか否かということになると思う。要するに表紙を隠すなんて中途半端なことならばやらないほうがよいと思う。この種の問題に関して真剣に考えるならコンビニに限らず、不特定多数の出入りする店舗での販売の可否自体を考えるべきである。ただそれは、最終的にはポルノという文化自体を否定することになりかねないし、どこからがポルノでどこからが芸術なのかという不毛とも思える議論の入口でしかないと思う。個人的には現状で全く問題ないと考えている。