17年前に親”富”孝通りと改名した福岡の元・親不孝通り(天神万町通り)が、”親不孝”という名称の一因にもなった予備校が閉校したことや、バブル時代のような繁華街的な賑わいが縮小したことなどから、親富孝通りから元の親不孝通りへ名称を戻すことが話題になってる。17年前の名称変更の理由は、親不幸通りという名称が若者の非行の原因になるとして、警察からの要請があったらしいのだが、当時は通りの名称変更に非行防止の効果があると本当に思っていたのだろうか。
「名は体を表す」ということわざがあるように、確かに名称によってある程度イメージが決まるということもあるのかもしれないが、地名は、例えば葦が沢山生えていた原っぱだったから”吉原”という地名になったなど、逆に「体で名が決まる」場合の方が多いと思う。親不孝通りで言えば勉強せずに遊ぶ浪人生が大勢いたから親不孝通りという名称になったのだろう。親不孝通りという名称だったから親不孝者=勉強せずに遊ぶ浪人生が集まり始めたのではない。17年前の名称変更には他にも様々な思惑があったのかもしれないが、個人的には通りの名称変更自体に非行防止の効果があったとは思えない。今回、名称を戻す理由が、要するに親不孝者が減ったから非行防止という17年前の名称変更の大義名分が必要なくなったということのようだが、17年前の名称変更が正しかったのなら、親不孝通りに名前を戻したら、また親不孝者が集まってくるという懸念はなかったのか。このようなことからも17年前の名称変更に非行防止の効果があったとは言えないということだろう。
一方で、17年間”親富孝通り”できたのに、また”親不孝通り”に戻す必要があるのかも疑問だ。部外者からしたら親不孝でも親富孝でも大した差はなくどちらでもいいのだが、元の親不孝通りという名称に愛着があり、親富孝通りの名称に17年間ずっと違和感を抱き続けてきた人もいたのだろう。ただ結局今回のようにニュースに取り上げられることを狙った話題づくり的なイメージの方が強く感じられる。かといって話題づくりで通りの名前を変えますとも言えないだろうから、結局17年前の名称変更の理由と対立してしまうような理由付けをすることになったのだろう。個人的にはどちらでもいいので話題づくりよりも、もう少し名前の方を大事にしたほうが良いのではないかと思う。