「レッテルを貼る」と言う表現がある。レッテルとはオランダ語で、英語で言えばラベルのことだ。ある人・物・事象などに本質・実態を的確に表しているとはいえないラベルを貼る、言い換えれば、勝手に決め付けた悪いイメージで扱うことを表現するときに使う言葉だ。例えば一部の反原発派の人が、原子力発電=完全な悪 と考えてしまうことなどがそれにあたるだろう。避難児童に対するいじめも、福島県民=被爆者 というようなレッテル貼りが意識の根底にあるから起こるのだと思う。他にも話題になっている森友学園・塚本幼稚園の運動会の宣誓で「日本を悪者として扱っている中国・韓国」と園児に言わせていたのも、中国・韓国=国民全てが反日 のような雑な中国・韓国感があるとしか思えない。勝手に大きなカテゴライズでそれらのイメージを語ることは説明として分かりやすく、語っている側も聞いている側も深く考える必要がないので楽なのだろうが、その分大きな間違いを起こす恐れも強く、危険な側面もあることを想像する必要がある。
自民党は、民進党は、朝日新聞は、産経新聞は、NHKは、TBSは、日本テレビは、日本は、中国は、アメリカは、韓国は、男は、女は、これらはどれも大きなカテゴライズである。確かにどのカテゴリーにもそれぞれ特徴的な傾向がある。しかしその傾向がカテゴリーの内部全てで同じように存在しているのかと言えば、そのカテゴリーが大きくなればなるほど、そうとは言えない。例えば自民党執行部は天皇の退位に関して特例法で対応するべきだとしているが、自民党内にも皇室典範を改正するべきだとする意見もある。韓国では戦前の日本との関係を背景として、行われる教育に反日要素があるのは事実だが、全国民が問題になっている慰安婦像を容認しているわけではない。むしろ恥ずかしいと思っている韓国人もいる。
ツイッターなどで考えを表現する場合などは、短い文字数で表現することが求められる為、このようなレッテル貼りをしてしまう恐れが特に強くなると思う。そのような発言を見た人が更に影響を受け、過激な発言をすれば注目を集めやすいという側面、匿名性が強く必要以上に強気になってしまいやすいという側面とも相まって、さらにそのようなレッテル貼りが広まるのもネット・SNSの特徴かもしれない。しかし、レッテル貼りはSNS以外でも、大手メディアなどでも時々起きるものだ。年初にMXテレビで放送した番組・ニュース女子の沖縄に関する回の問題も、基地反対派、右派、MXテレビなど、いくつかのレッテル貼りが問題の根底にあるのだと思う。兎に角どんな場合であっても「レッテルを貼る」ことは、物事の本質を誤魔化し見え難くするだけで百害あって一利なしだ。