トランプ大統領の中東・アフリカの7カ国に対する入国禁止する大統領令をめぐり、行政と司法の対立が起きている。週末の間にワシントン州の連邦地裁が大統領令の一時停止処分を命じ、それに対して政権側である司法省が異議を申し立て、その申し立てを連邦控訴裁が却下した。トランプ氏を大統領に選んでしまったアメリカは病んでいると感じたが、一方で合衆国憲法に抵触するおそれのある政策に対して、司法が待ったをかけられる、三権分立が生きているアメリカは日本より正常であるとも感じられる。日本で三権分立がないがしろにされていると特に感じさせられるのは、憲法の解釈変更だけで集団的自衛権を容認することに、複数の世論調査で国民の多くが疑問を感じたとの結果があり、政権側が選出した学者さえも違憲の可能性について言及したにも関わらず、安部政権が成立させてしまった安全保障関連法に対して、その成立後、憲法違反だと訴える裁判の提訴が全国で相次いだにも関わらず、司法当局がそれらを審査すら行わずに棄却し、判断することを避けていることだ。その他にも選挙の度に、所謂1票の格差を”違憲状態”とする判決が出ているのに、国会では一向に議論が進まず対策が行われなくても、裁判所も馬鹿の一つ覚えのように違憲状態の判決をただ出すだけという、行政や立法が司法を軽視し、司法もそれに甘んじているかのように見えるのも日本で三権分立が守られていないと感じる理由の一つだ。
トランプ大統領は一連の騒動の最中、自身のツイッターでワシントン州連邦地裁で決定を下した判事を中傷しているとも言えるような発言をしている。今までも彼の政策について反対する者を批判とすら言えない、人格攻撃や侮辱と表現するのが妥当とも思える発言を繰り返してきたが、今回の三権分立を脅かしかねない内容の発言には、アメリカ国内でも、「三権分立を尊重しないとは、独裁者になりたいのか」という批判が一部では起きているようだ。2015年の日本でも違憲の恐れが強いとか、憲法軽視とか政権に対する風当たりは相当強まっていたが、「憲法を守らない独裁者」というような強い言葉を使った批判の動きにまでは至らず、時と共にこの件に対する自分の記憶も徐々に薄まっているように思う。しかし今回の大統領令の件や、この大統領令に対して沈黙しているだけでなく、大統領当選確定後、一目散にトランプ詣出を行ったり、彼との緊密な関係を印象付けようとしているような姿勢の我が国の首相を見ると、やや短絡的な見方かもという思いもあるものの、どうも彼らはその手法は違えど、似たもの同士なんじゃないか、とも思えてしまう。アメリカとの外交関係を考えた上で”コメントしない”というのも分かるが、国内ではいじめ問題について、「いじめられている人がいると知っているのに、見て見ないふりをするのは、一緒にいじめているのと同じだ」と子供に教えているのに、国を代表する大人の一人である首相が、他国のことであるとはいえ、テロリストではない人までテロリスト扱いするような政策について沈黙を守っているのには違和感を感じる。