数日前にテレビ番組であるコメンテーターが原発について、「既に核廃棄物が存在しているのだから、その廃棄物を処理する為に、核技術を発展させなくてはならないので原発を無くす訳にはいかない」という持論を主張していた。これを聞いてなんとも釈然としない気分になり、今まで40年以上も処理できない廃棄物を生産しながら、しかも日本の原子力開発が始まって既に50年以上経ってもその技術が確立出来ないのに、今後どの程度でそれが可能になるという見通しがあるのかと問いかけたくなった。国策だった核燃料サイクル計画が事実上失敗しているのにも関わらず、また原発を動かし処理できない廃棄物を今以上に増やさなければならない理由がどこにあるのか。現状処理ができないごみに困っているのに、さらにその処理できないごみを増やすということには矛盾しか感じられない。
核技術開発は国民が豊かになるための手段であって、それ自体は目的ではない。国民が豊かになる為のエネルギー技術は原発以外にもある。電力会社などは事故は起きないとしていたのに、想定外と表現された福島第二原発事故や、事故から6年たった現在もどのくらいの期間がかかるのか以前に、その技術の確立すら出来ておらず先行きが見通せないその廃炉作業、核燃料サイクル計画の要だったもんじゅの杜撰な管理などを理由にした廃炉決定など、核関連政策の管理に関連した様々な不信が拭えていないのに、「原発継続以外に道はない」とする意見には全く同意できない。前述の核廃棄物処理技術確立が出来るのかという疑問と、それを推進・管理する人たちに対する不信感が強く、出来ると主張されても手放しで信じることができないからだ。
勘繰りすぎかもしれないが、原発推進派の人の中には北朝鮮が核開発を続けミサイル発射を繰り返している現状、中国が海洋進出の動きを強めている現状などを受けて、日本も核兵器開発が事実上出来る状態にある方が望ましく、再生可能エネルギー技術が進み、その比率が高まることで原発・核技術の開発が停滞することは好ましくないと考えている人達がいるのではないだろうか。少し極端すぎるかもしれないが、「既に核廃棄物が存在しているのだから、その廃棄物を処理する為に、核技術を発展させなくてはならないので原発を無くす訳にはいかない」という話は「戦争によって大きく文明が発展するのだから、人類にとって戦争は必要だ」と言われているような気分だ。