電通で起きた事件をきっかけに罰則付きの時間外労働上限規制を設けようという動きが強まり、現在もそれについて議論がなされている。現時点では労働者側の連合と被雇用側である経団連が、「繁忙期などには年間720時間を前提としつつ、2ヶ月から6ヶ月の平均80時間かつ月100時間、月45時間を越える時間外労働は6ヶ月までとすると労働基準法に明記する」という方向で調整が行われていると、NHKニュースが報じている。個人的には時間外労働の問題は、ヤマト運輸の問題でも徐々に声を上げる労働者が出てきているように、現時点で把握されている時間外労働よりも、統計にも残らない所謂サービス残業の強制のほうが大きな問題だと感じる。その点が全く議論されないことにも強い憤りを感じるが、その事を度外視しても、過労死認定ラインとされる月100時間の時間外労働が条件付とはいえ許されることを、労働基本法に明記することはどうしても容認しがたい。
ある朝のニュース番組でコメンテーターが「働きたい人もいるし、残業が出来ないと他の月がキツくなることもある。その時にしないと意味がない仕事もあるので、一概に月100時間という基準が悪いとは言えない」という主旨のコメントをしていた。このコメントの第一印象は全く受け入れられないという気分だったが、一方で現在サービス残業の話が議論されていないことを考えると、厳しい時間外労働時間の規制を設けることはサービス残業を強要する空気を更に社会に広げることにもなりかねないような気もしてきた。しかし、実際は働きたい人がいることを前提とした、定時退社することや、残業を拒否し難い、有給も消化できない空気が蔓延しているのが現在の日本社会の状況であり、それを変えられないのなら政府の言う”働き方改革”なんてただの絵に描いた餅に過ぎないと言えないだろうか。その時しないと意味がない仕事がある、残業出来ないと次の月がキツくなるなら、それは労働力が足りていないということなので、雇用する労働者を増やせばいいだろうし、規制を超えて働きたい労働者はそれこそ勝手にサービス残業するか、契約形態を変えて個人事業主にでもなれば良いのではないだろうか。結局、被雇用側の意識が変わらない限り、現在議論されている時間外労働上限の規制なんて焼け石に水みたいな程度のものにしかならないだろう。
結局経団連側は、安部政権成立以降、大企業が内部留保を増大させている状況があるのに、労働者に無理を強いらなければ、わが国の経済優位性を保つことが出来ないのだから我慢しろ、とかなり理不尽なことを言っているような気がしてならない。交渉している連合側が弱腰姿勢なことすら折込済みで、茶番劇を見せられているかのようだ。こんな状況では少子化が問題だとか言っているにもかかわらず、若者が将来に夢を持てるはずもなく、結局何も変わらないだろうという閉塞感だけが広がるように感じる。