「デートDVの実態とは? 「無理矢理キス」「全額おごって」も該当」という記事をハフィントンポストが3/13に掲載した。DV、ドメスティックバイオレンス=家庭内暴力にデートをくっつけた”デートDV”という言葉にも矛盾を感じるが、それはそれとしてこの記事を読んだ感想は、例として挙げられていることをそのまま受け止めたら、男女関係(男男・女女などの関係の場合もあるが便宜上男女関係と表現する)かどうかに限らず、他人と関わることが嫌になりそうだということだった。
婚姻を伴うか否かに関わらず男女関係において、様々な形態の暴力と表現するに足りるような問題があることは確かだが、この記事の伝え方はネガティブな面ばかりに注目し過ぎていると思う。デートDVという問題が起きる前にそのことについて知っておいて欲しいという意識でこのような記事になっているのだろうが、コミュニケーション能力の低下だとか、恋愛や異性などに興味を持たない若者が増えている現状だとか、それに伴う少子化だとか、現在の日本社会が抱える別の問題に対しての影響を考えれば、この記事の挙げている例の中には”無理やり”とか”○○したくないのに”などとしているものもあるが、少し過敏に強調された懸念を挙げているようにも思う。
人間関係とは自分ではない人と築くものなので、考え方が対立する場面がどこかで必ず出てくる。そういったとことを含めない人間関係なんて、実際には上辺だけの関係で恋愛や友人関係なんて言えるような関係ではないと個人的に思う。そういったものを乗り越えられなければ”互いに尊重し合う”なんて関係にはなれないとも思う。もちろん度を越えて一方の考えを強要する・されるような関係は、それはそれで問題だろうが、それを懸念するあまりに全ての他人と距離を置くとか、考え方の違う人間とコミュニケーションを避けるようになってしまったら、ある意味”健全な社会”とは言えなくなってしまうのではないかと思う。この記事の表現では読んだ若者の一部をそういう状況に向かわせてしまうかもしれないと感じた。
記事は被害を防ぐためにどうするべきかということで締めくくられているのだが、個人的には、その点が記事内で最も重要な点として扱われているようには感じられず、記事の見出しを「デートDVの実態とは? 「無理矢理キス」「全額おごって」も該当」としていることが物語っているように、結局デートDVの恐怖を煽るだけになってしまっているように感じられるのが残念だ。