もやしの価格が安すぎて、このままでは今後廃業する生産者が増え、安定供給が難しくなるという懸念を生産者協会が発表した事が話題になっている。以前からスーパーで買い物をする度に「もやしの値段が1袋10円とか15円とかで利益はあるのかな」と疑問を感じていたが、この件を見てその疑問が間違いではなかったのだと思い知らされた。その一方で協会は「せめて40円で売ってほしい」とも話しているようで、40円なら大丈夫なの!?という驚きもあった。
複数のメディアで、スーパーなどの販売店でも、もやし販売については安いことが当たり前という消費者の認識もあり、ほとんど利益はなく卸値よりも安値で販売されるとも報じられている。しかしそんなスーパーは他の商品を売るための客寄せ的にもやしを利用しているという側面もあるだろう。消費者などの反応としては、自分と同じように安すぎると感じていたという声や、40円になったら高くて困るという消費者・飲食店などの声も伝えられている。スーパーが安値で売らざるを得ないとか、飲食店などが値上がりしたら困るという話は、「もやしは安いもの」という認識が前提になっていると思われる。しかし安さの理由に生産者が廃業を考えるほどの犠牲があるとしても、同じことを正々堂々と主張できるだろうか。生産者をスーパーや飲食店に置き換えて考えてみたら、スーパーや飲食店は消費者の要求があれば赤字販売を強制されるような状況で、消費者の利益の為ならスーパー・飲食店が赤字で廃業するのも仕方がないということになる。
この件は、ヤマト運輸がネット通販の影響で荷物が増えすぎ、慢性的な人手不足状態が続き、労働環境の改善のために時間指定配送の見直しや運賃の値上げを検討している状況と似ていると思う。もやしが「40円になったら困る」という消費者は、社会的に見て厳しい状況に置かれているのも事実だと思うが、ヤマト運輸の件にしたって、もやしの件にしたって、今のままどこかに過大な負担をかけるようなサービスや価格はどうやっても永遠に続くものではない。最終的にそのような構造は破綻をきたし、サービスも商品もなくなるだろうことを考えたら、もやしが「40円になったら困る」というのは、”自分だけが良ければ他人のことはどうでもいい”という、どこかの大統領のような考え方だろう。しかしそういった考え方をすれば、自分が困った時も誰も助けてくれないということを肝に銘じておいたほうが良い。短絡的に「40円になったら困る」とするのではなく、もやしが40円でも困らない社会情勢にする・なるにはどうしたら良いかを考えるべきである。