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国会の品位と危険な思想


 日本維新の会・足立議員が「安保情勢が激しい中で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の足を引っ張るのは、北朝鮮や中国と通じているのではないかと疑われても仕方ない」と国会で発言したことを産経ニュースが報じている。足立議員のこの発言は、衆議院外務委員会で民進党・福島議員が森友学園問題を追及していることに対し、委員会と直接関係ないことに時間を使い過ぎていると苦言を呈するという趣旨のものだが、産経ニュースによると「足立氏自身も外務委員会の所管事項を政府側にただすことなく、首相との質疑を終えた」ということだ。


 確かに国会中継などを見ていると、例えば「これって予算委員会だよね?」と感じるように、委員会などの本筋とは関係ないと思える議論が多く行われている事実はあると思う。ただ森友学園の問題に関して言えば、民進党ら野党が必要のなさそうな質問をしている場面もあるが、実態解明に消極的な姿勢を変えない政府・与党にも国会をこの問題一色の状況にしている責任が大いにあると思う。足立議員の発言は、首相や与党の不利になるような質問・発言をすること自体が間違っているとするような性質のもので到底受け入れられるものではない。しかも北朝鮮はまだしも、中国を持ち出したことは強引な海洋進出政策だけを見れば不適切ではないと言えなくもないが、一方でヘイトスピーチ的であるようにも感じられるし、安全情勢の厳しさを理由に政府を批判するなという姿勢は、政府与党が必要性を訴える緊急事態条項の危険性をも感じさせる。

 足立議員は以前にも昨年の所謂「民進党はあほ」など問題発言をしている。日本維新の会は彼に対してなんらかの処分、個人的には除名などの厳しい処分をするべきではないかと思う。森友学園の異例の多い条件付き認可適当の判断が、松井知事は財務省の圧力があった恐れがあるという姿勢だが、それでも日本維新の会の松井氏が知事を務める大阪府で起こった出来事であるということ、要するに安倍首相・首相夫人など自民党の関係者だけでなく、日本維新の会の関係者もこの問題への関与が疑われているという状況で、到底容認できないような論理で問題を追及するなという発言をする議員が党内にいるということは、日本維新の会が組織的に追求逃れをしていると思われてしまう恐れがあるからだ。それ以前に”御上は絶対だから逆らうな”という、民主主義的とは到底思えない思想を日本維新の会が黙認・容認しているとも思われかねない。

 足立議員は安倍首相から森友学園への寄付があったかどうかが話題になっている件についても、「寄付してたら美談ですよ。なんでマスコミは騒いでんの? 全然わかんないね」と発言したようだ。寄付自体が法的な罪にならなかったとしても、認可を受けるために提出した書類に虚偽の疑いがあったり、園児に洗脳とも思えるような政治性の強いある種の思想教育をしているような学園への寄付のどこが美談なのか理解に苦しむ。ここからも彼には”御上は絶対”という思想があるように感じられる。産経ニュースは足立議員の発言を「もはやおなじみの”口撃”」と揶揄するような表現を用いているが、あの人はああいう人だから仕方ないで済ませられるような事案ではないように思う。彼が持っていると思われる”御上は絶対”という思想は、彼が安保情勢上懸念している北朝鮮や中国の特性と共通性があるようで、とても滑稽に見える。

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