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安易な全面禁止への懸念


 3/27に栃木県那須町のスキー場で起きた雪崩事故。登山講習を行っていた高校生らが巻き込まれ8人が死亡した。当然のように多くのメディアがこの件について取り上げている。事故についての捜査や検証などを報じることは必要だと思う。しかし必要以上に犠牲者の個人的な情報を取り上げる必要はあるのだろうか。ワイドショーでならまだ仕方がないとも思える。遺族の中には「悔しい」とか「責任者たちにテレビを通じて感情を訴えたい」と取材に協力する人もいるだろう。しかしシリアスな報道番組でそれをやってしまうことは、必要以上に視聴者の感情を煽り、事故を感情的に捉えてしまうという好ましいとは言えない方向へ世論を導く恐れがあり、個人的には是非考え直して欲しいと思っている。


 それだけが理由だとは言えないが、このような話はこの件に限ったことではなく、以前からよく見られることだ。NHKがこの事故を受けた栃木県教育委員会の対応を報じているのだが、それは「高校の部活動で冬山登山禁止を検討」ということだった。個人的に最近の”危険だから禁止”、”クレームがついた、若しくはつきそうだから禁止”というような風潮はとても好ましいとは思えない。特に先日書いた”体育の授業での飛び込み”などと同じように、学校教育や公園などの児童施設での”禁止”対応にはある種の危険性すら感じる。教育を行う上で危険だから一律禁止とすることは、一見生徒や児童の安全を第一に考えているようで、実は教育することを放棄しているのではないかと思う。何故なら危険から子供を遠ざけると、子供に”何故危険なのか”とか”危険を回避する方法”を教えることが難しくなると感じるからである。

 NHKの記事によれば、栃木県教委が今回の冬山登山全面禁止を検討する以前に、スポーツ庁が生徒の技術や体力を考慮し高校生は冬山登山を行わないようにという通達を出しているようだ。しかしこれまで栃木県教委は県の審査会が認めた場合は部活での冬山登山を認めていたという事情がある。個人的に思うのは、今回の栃木県教委が検討している「11月から5月の間に高校の部活動で登山することを全面禁止する」ことは、ある意味で遺族の感情に配慮した結果の選択だとも言えるのかもしれないが、結局今後の同じような事故に対する責任逃れのようにも思えてしまう。この事故を受けて今後事故が起きないように対策を行う必要は当然あると思う。しかし有効な対策が「部活動での冬山登山全面禁止」だとは思えない。”部活動での”ということは部活動以外だったら教委の責任にはならないので関知しないと言っているように思えてならない。勿論部活動以外での生徒の個人的な活動を制限することはできない。ということは別の視点で考えれば、「冬山登山したいならどうぞ御勝手に。事故が起きても自己責任で」と言っているようなものだろう。今まで安全な冬山登山を生徒に教えようという姿勢があっただけに余計にこう思えるのかもしれないが、だったら尚更今回の事故を教訓としてこれまで以上に安全な冬山登山について考えた上で実技指導を行い、登山部に入るような生徒の技術や認識の向上を計るべきではないだろうか。それは雪山が生活圏にあるような地域では、不意の遭難などの際にも役立つことだと思う。

 スキーやスノーボードなど、登山以外でも雪山で行われるスポーツは他にもある。登山ほどでないにしろ、それらのスポーツでも雪崩に遭遇することがないとは言えない。だからと言ってスキー部やスノーボード部の冬山での練習は禁止となるだろうか。それが現実になったら、学校の活動範囲では雪山での活動全面禁止というおかしな自体になってしまう。確率が違うのだから比較するのは間違っているという人もいるだろう。しかし”危険だから”という理由で全面禁止とするならスキージャンプで大怪我する確率と冬山登山で雪崩に遭う確率はどちらが高いだろうか。大怪我の恐れのあるスキージャンプを子供にさせている親などは虐待していることになるのだろうか。何はともあれ、”危険だから”全面禁止という”臭いものに蓋”のような短絡的な対応は、決して教育上効果的な対応とは言えないとしか思えない。 

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