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助詞”が”と省略の使い方


 「8人死亡の雪崩事故 引率教員が勤務の高校を捜索」。NHKが栃木県那須町の雪崩事故に関するニュースを報道する際に使用した見出しだ。こんな見出しがNHKの、しかも報道で使われるのかと思うとかなり残念だ。このニュースは”引率教員が勤務している高校を、警察が捜索した”ことを伝えるものだが、この見出しでは”引率教員が自分の勤務校を、自ら捜索した”かのように感じられてしまう。そんなことが起こる可能性が低いことは、常識的に考えればわかることだが、事故の背景などを知らなければ後者のように勘違いする恐れが全くないとは言えない。適切に内容を伝えるならば「引率教員が勤務している高校を捜索」と”している”省略すべきではない。文字数制限に引っかかるなら「引率教員の勤務校を捜索」などとするべきだろう。


 このような、不正確・不適切である恐れのある見出し・表現は、近年特に増えたように思う。個人的には気になり過ぎてゲシュタルト崩壊気味でハイパーコレクション(過剰修正)気味になっていて、よく考えれば間違っていないものまで間違っているように思えてしまい、自分の感覚が果たして正しいのかそうではないのか分からなくなりそうなくらいだ。中でも気になるのは冒頭の見出しのように、適切ではない助詞”が”と省略の組み合わせだ。中でも受身表現を省略した体言止め的な使い方にはとても違和感を感じる。例えば、

・イベントが開催
・新製品が発売
・予算が可決・成立

などだ。どれも”される”という受身表現が省略されている。イベントが開催では、イベントが何か催しを開いたような表現だし、新製品が発売も新製品が何かを売り始めたかのようだ。どうしても省略を使いたいのであれば、日本語では主語の省略も許されるので、”イベントを開催”などにするべきだ。もしくは”イベント開催”とか”新製品発売”など助詞を省略しても良いかもしれない。”予算が可決・成立”に関しては、”予算が可決され、成立した”が正確な表現で、受動と能動を並列するべきではない。しかもこの表現に関しては見出しではなく、ニュースの原稿をアナウンサーが読み上げていたものなので、”され・した”を省略する必要性はかなり低い。文字数をどうしても減らしたいなら、可決か成立のどちらかを選んで”予算が成立”か”予算を可決”にすべきだろう。このようにおかしな形で受身表現が省略がここまで増える以前は、必要以上に受身表現を使う記事・原稿が多くあったように感じる。それはおそらく敬語や丁寧語などの使い方が怪しくなってきたことと関わりがあるように思う。”される”を使うとどこか丁寧な言い方であるかのような印象があるのだろう。敬語・丁寧語の理解不足から受身表現を多用するようになり、受身表現自体も適切な理解がされなくなっておかしな省略表現に至ったと、個人的には感じている。

 このような表現が報道番組で使われ始めているということは、違和感を感じない人が増えている、つまり許容される表現になってきたということかもしれない。そして違和感がない人からすれば内容が分かれば、必ずしも正しい表現でなくてもよいという人もいるかもしれない。しかし冒頭の見出しのように正しく伝わらない恐れもあるということに、報道という正確性が求められる分野では、個人的な会話や表現の何倍も気を使うべきだと思う。個人的な会話や表現でだってコミュニケーション能力を養うという意味では気を使う必要はある。正しい表現を理解した上でそのような表現を行うのと、理解せずに行うのはかなりの差がある。

 こういう表現が使われるようになった背景には前述の理由以外にも、ツイッターなどの文字数制限の中での表現や、Yahooニュースの13文字という極端に字数の少ない見出しなどの影響もあると思う。しかしそれ以前、おそらく90年代後半から多様され始めた、テレビで演者などの発言をそのままテロップ化することも大きな要因だと個人的には思う。話し言葉は話しながら文章を組み立てるので、能動表現しようとしていたところから、急に受動表現に切り替えて話してしまうなど文字化したときに不適切な場合でも、前後の文脈や身振り手振りなどその言葉以外の要素で意味が通じることが多く、文章表現よりも助詞などの使用方法について寛容であることが多い。しかしそのようなテロップ化された文章的には適切でない表現を読むことに子供の頃から慣れて育つと、そのような表現が文章でも許されると思ってしまうのではないだろうか。自分が歳を取って耳が肥えた、若しくは保守的になったのかもしれないが、実況を行うアナウンサーが上手いことを言おうとして言い慣れない言葉を使うが、結局上手く使いこなせずおかしな表現になっているという場面を見ることが多くなったとも感じる。それを聞く子供たちはやはりそれが正しいと思ってしまうのだろう。まだまだテレビの影響は大きい。

 今までテレビ報道・新聞などの現場ではそのような文章は許されていなかったのだろうが、上記のような世代がそういう現場に出てきたということなのだろう。言語は常に変化するものなので、そのような文章が許容されていくのも仕方がないことかもしれない。しかし滑稽に感じる自分がいるのも、現在は文法的に明らかな間違いとまでは言えないかもしれないが、正しい・耳障りの良い表現だとはいえないことも事実だ。正しくない・聞き苦しくても”分かればよい”というのなら、学校で国語を習う必要性があるのかという疑問も出てくるし、文学などにおける文章表現の良し悪しをある意味で無意味であるとすることにも繋がってしまうと思う。テレビだけでなく多くのビューを集めるネットメディアなども、適切な表現を心がけることの大切さをもう少し感じてほしい。

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