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信頼性


 3/3に石原元都知事が築地市場の豊洲移転に関する問題について、この問題をめぐる百条委員会への召還を前に記者会見を開いた。自分は築地・豊洲市場移転問題に関してはそんなに強い思い入れもないし東京都民でもないので、意見を述べるべき立場でもないと思うのだが、あの記者会見を受けて一部では「石原都知事の会見内容は妥当で、不必要に問題を大きくしている小池都知事やメディアに問題がある」とする意見があるが、果たしてその見解は妥当なのか、個人的にはやや疑問である。


 まず最初に言いたいのは、小池都知事の就任以降の動きを見ていて、築地・豊洲市場移転問題にしても、東京オリンピックに関する諸問題についても、彼女の姿勢は少し大衆迎合的過ぎるように感じる。しかしその一方で、どちらの問題についても都政やオリンピック組織委員会などに潜んでいた好ましくない部分を掘り起こしたという側面があることも否めない。

 築地・豊洲市場問題に関して、問題の本質は「豊洲市場が安全であるか否か」だとする意見があるが、個人的にはそれだけとは言えないと思う。多くの専門家が地下水や土壌が汚染されているとしても直接的に市場の機能に影響を及ぼさない範囲で、科学的には豊洲市場は安全であるとする見解を示しているし、自分もその見解が大きく間違っているとは思わない。しかし、豊洲市場の土壌汚染対策として行われているはずだった所謂”盛り土”が実際は行われていなかったことや、その盛り土をしないという決定がどのようなプロセス、誰の責任でなされたのかの不透明さ、更に3日の石原元都知事の会見でも示されたような、そもそも移転計画がどのように誰の責任で豊洲に決定したか、その決定に至った過程や内容も不透明であるなど、要するにこれまでの都の行政に信頼性があったかが疑われていることがこの問題の本質だと思う。信頼性がなければいくら科学的に正しいことを言っても、該当分野についての専門家以外には正しいことと断定できないのも仕方ないと感じる。例えばDNA鑑定やドーピング鑑定などは科学的に信頼性が高いことは事実だが、鑑定を行う機関が少し前に話題になったようなロシアのアンチドーピング機関のように採取したサンプルをすり替えたりする懸念があれば、それらの鑑定自体の信頼性も疑われてしまうというような話と同じだろう。

 石原元都知事が会見でこの問題について”科学が風評に負けるのか”と評したが、個人的には”科学の前提にある信頼性が揺らいでいる”のだと思う。狼少年の話のように、真実をいくら訴えようとしても訴える人の信頼性が低ければ、人はそれを信じてくれないということだろう。確かに小池都知事やメディアが、実際には影響の少ないレベルの汚染をあたかも健康被害の恐れが強いかのようにアピールしている恐れがあることには、豊洲市場に対して風評被害を及ぼし、問題を余計に大きくしているという側面があることは否定できない。しかしその過剰とも言える追求がなければ、これまでの都知事や都議会、都庁の、市場移転への対応の杜撰さは明るみにならなかったのも事実だろう。また豊洲市場は科学的に安全だということを重視して移転を昨年11月に予定通りに行った後に、盛り土の件など行政の杜撰さを検討するという方針で話を進めていたら、とりあえず移転できたのだからと、それらの件については結局なぁなぁで幕引きが図られていただろうし、それでよかったのかと考えれば、また同じような問題が結局どこかで起こってしまいそうで何の解決にもならなかったように思う。

 メディアは、結局この問題は誰の責任か、ということばかりをクローズアップしがちだ。確かに今後同じような問題を起こさない為には責任者を断じることもある程度は必要かも知れない。しかしそれよりも築地市場が市場関係者・都民などの信頼感を得た上で豊洲へ移転する為に、そして豊洲市場が科学的に安全であるということの説得力を高めるためにも、築地の豊洲移転に関してどんな経緯でどんな決定がなされていたのかということを明らかにすることが重要なのではないかと思う。その観点から考えれば、やはり石原元都知事の3日の会見のような、当時の最高責任者だったにも関わらず、自分は専門家ではなく言われるがままに判を押しただけというような態度は、結局豊洲市場の安全に関する信頼性を下げることに繋がるだけだろう。あの会見を見た石原元都知事を支持していた都民は、彼の無責任とも言える態度に「騙された」と思う人も少なからずいるんじゃないかと感じる。

 この築地・豊洲移転問題も信頼性の問題だし、現在話題の森友学園の話もいくら政府与党、官僚が国有地の売却価格に関して法的に問題はないと言っても、その話の内容や政治家の関与が疑われるような背景などが多数あり、その話の信頼性が低いことが大きな問題だと思う。豊洲市場は”科学的には問題はない”し、森友学園や南スーダンの戦闘問題なども”法的に問題はない”と政府与党は言う。しかし数年前に問題になった所謂脱法ドラックだって当時は”法的に問題はなかった”はずだ。しかし法的以外の部分で問題があったから新しく規制する法律を作ったのだろう。福島の原発事故の際に”ただちに影響はない”なんて不思議な表現をしていたのも似たようなことだろう。刑法には”疑わしきは罰せず”なんて考え方があるが、政治に関しては”李下に冠を正さず”の精神で、できる限り不透明な部分を排除し、疑わしいことをできる限りなくさなければ、政府与党にしろ野党や対抗勢力にしろ都民・国民の支持を得る、若しくは持続することは出来ないのではないだろうか。このような既存の政治への不信が今以上に広がり、既存の政治への拒否反応が増大すれば、アメリカのように傍若無人な振る舞いをするような人が、その隙をついて国の代表になるようなことになってしまうのではないだろうか。

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