3/3、アメリカ国務省は2016年度版の人権報告書を発表したと共同通信などが報じている。その報告書には、2016年2月に高市総務大臣が政治的公平について違反を重ねる放送局に電波停止を命じる可能性について言及した事について、安倍政権によるメディアへの圧力強化の懸念が強まったという指摘や、特定秘密保護法によって報道機関への圧力が強まったという指摘、記者クラブが排他的で自己検閲を助長しているという批判があるという指摘が含まれているようだ。これに対して高市総務大臣は政治的公平・電波停止に言及したことは正当であるという、従来からの姿勢を改めて示していると東京新聞が報じている。
この件に関して報告書を出したのが、政権に批判的な一部のメディアをフェイクニュースと切り捨ててしまったり、明確な根拠もなくオバマ前大統領について到底妥当とは思えないような批判を繰り返しているトランプ氏を大統領に据えているアメリカの政府機関なので、そんな発表をしても説得力に欠けるし、まずは自国内を見直したらどうかと言いたくなる気持ちもあるが、発表された報告書は2016年版であり2016年度のほとんどはオバマ政権下だったことや、現トランプ政権下のアメリカの政府機関と言えども全ての職員がトランプ政権に肯定的とは言えないということなどを考慮すれば、日本国内に存在するのと同じような現在の日本政府などに対する懸念を国外・アメリカ、しかもメディアなどの民間機関ではなく政府機関の中にも感じる人がいるのだと肯定的に受け止めることも出来る。
この件から考えると、安倍首相は世界中でも1,2を争うほど親トランプであることをアピールしているように思えるが、日本の(アメリカの国務省に相当する)外務省や総務省・文科省などが、阿部首相の姿勢に過剰に配慮せずに、現在のトランプ政権のメディア政策やイスラム圏数か国に対する入国禁止大統領令などに対して異を唱えるようなことがあっても良いのではないかと思う。しかしそんなことが出来るような空気が今の官公庁の中にあれば、政府の行き過ぎているとも思える施策に抵抗することも出来るだろうから、アメリカ外務省が指摘するようなそれらの懸念はそもそも存在しないようにも思う。アメリカの個々の自己主張が強いという気質には良い面も悪い面もあるが、日本の周りとの(極力揉めないという意味での)和を重んじる、空気を読むという気質、空気を読むことを相手に求める(時には強要する)という気質にも良い面もあればその弊害があるとも言えると思う。