NHKなどが「道徳」教科書の初検定について報じた。その中で特に「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切という理由で「パン屋」を「和菓子屋」に修正したという点が多くのメディアやSNS上で大きな話題になっている。朝日新聞の記事によれば、他にも同じように国外文化的な設定での記述を和風の設定に修正させられた点があるようだし、考え様によっては特定の家族観や国家観を押し付けられていると感じてしまうような点もある。肯定的に受け止めれば、「パン屋」が「和菓子屋」に修正された根底には、欧米化が進む日本社会で自国文化も大事にすることを目指すというような意識があるのかもしれないとも考えられるが、その意識がおかしな方向へ向いているように思えてならない。質の悪い”日本すごい”番組に100倍輪をかけたような感じだ。バラエティ番組ならつまらないから見ないで済む話だが、義務教育では全く話が変わってくる。
この道徳の教科書検定は、いじめ問題の深刻化などを理由に、道徳を教科化する為に行われた。これだけ聞くと道徳教育に力を入れることは良いことだと思えるが、この件のように道徳観の強制のようなことが行われるのならば、それは教育ではなく過激な言葉で言えば子供の洗脳とさえ感じられ、危険なことに思えてならない。そもそも道徳感というものは強制的に押し付けられるようなものではない。近代の隣国との関係などの歴史感を中心に、教科書検定については以前から多くの議論があり、国による検定そのものの在り方を疑問視する声もある。小学生の頃から不思議に思っていたことだが、今回の道徳教科検定の話を聞いて、戦後今までなぜ道徳が他の教科とは扱いが違ったのかが分かったような気がする。
このようなことが今話題になっていることと、森友学園問題が発覚した当初、安倍首相が教育勅語を暗唱させ、ヘイトスピーチ的に中韓を貶すようなことを児童に言わせていた学校法人の理事長を”素晴らしい”とか”共鳴している”とか言っていたこと、その学校の名誉校長に首相夫人が就任していたことなどが全く無関係とは到底思えない。特定秘密保護法、総務大臣のメディアに対する圧力のような発言、憲法解釈の変更、それによる集団的自衛権容認、文科相・防衛相の教育勅語を容認するかのような発言など、それら1つ1つも個人的には説明等に無理があるように思えるが、百歩譲ってそれぞれは致命的な問題でなかったとしても、これだけ戦前への逆行につながるような事案が積み重なれば、懸念は確信に変わってくる。