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ツイッターでの表現 その1


 MXの朝番組・モーニングCROSSを見ていて気になるのは、この番組の特徴の1つでもある常時画面下部に表示される視聴者のツイートだ。モーニングCROSSは番組自体のテロップにも誤字脱字が多いのだが、番組中に表示される視聴者ツイートも、ツイートを表示する他番組に比べて誤字脱字率が高い。モーニングCROSSが表示するツイートを選り好みしていないと好意的に受け取ることもできるが、数日前にも書いたように、テレビという影響力の強いメディアで正しいとは言い難い日本語を表示するということがどういう影響を社会に与えるかも考えてもらいたい。ただ番組自体もテロップに誤字脱字が多いということを踏まえれば、そもそもそのようなことを考えられるだけの能力・余裕が番組自体にないのかもしれない。好きな番組なだけにもう少しトータルで質を上げてほしい。


 番組で表示されるツイートの誤字脱字が気になるのもさることながら、”この件に ついて 私は そう 思う”などとスペースで単語を区切っているツイートを多々見かける。それらは自分にはかなり幼稚に見える。自分の知る限りこの作文方法が生まれた背景は00年代に隆盛を極めたネット掲示板・2ちゃんねるにあると思う。


1. 2ちゃんねるに句読点の使い方がおかしい投稿がされる

2. 句読点も使えないのかと投稿者が馬鹿にされる

3. 句読点なんていらないという逆ギレが発生

4. まず句読点の代わりに改行すればよいという発想が生まれる

5. 当初改行がなかったツイッターで、同じような発想を実現するために句読点の代わりにスペースが使用される

6. 句読点の使い方能力不足を批判されたことに端を発した話なのに、結局スペースを使い過ぎて幼稚に見えるという堂々巡りのような状況


という流れがあると個人的に感じている。大々的な調査をしたわけではないので実態を正しく表現しているかは容赦願いたい。更に余計な話をすると、インターネット以前・黎明期は記憶装置が高価だったこと、通信速度が遅かったことなどを理由に、少しでもデータ量を節約するために不要なスペース・改行は嫌われる傾向にあったものだ。それはそれとして、兎にも角にもスペースを多用する文章は句読点使用能力を補うために使われ始めたが、結局その解決にはなっておらず、誤字脱字のある文章と同様に幼稚に見えるということだ。英語など単語をスペースで区切る言語を使う外国人たちなどには読みやすいという意見もあるだろうが、日本で使われる”日本語”は何人に向けたものかを考えてもらいたい。

 ツイートでスペースを多用する文章を使う人が増えた他の要因として、個人的には安倍首相の、わかりやすい印象を与えるためにしていると思われる単語単語で息継ぎするような話し方もあるのかなとも思う。他の政治家、小泉進次郎氏などのように特に自民党議員に、意識的に真似ているのか無意識なのかはわからないが、同じ様な話し方をする傾向が感じられる。この首相の話し方を批判するつもりは全くない。個人的には子供に向かって話しかけているようで、馬鹿にされているような印象を受けるため好みではないが、誤解を避けるという意味では決しておかしな話し方ではない。しかし文字でこれを表現しようとすると途端に滑稽さが大きくなる。これは話し言葉では多少の表現の文法的な稚拙さ・不適切さは容認されるが、書き言葉ではその許容範囲は狭まるということだ。冒頭でリンクを付けた記事でも書いた、テレビ番組で話し言葉をそっくりそのままテロップにすると、スタッフの日本語能力が低いように感じられるということと同じ様なことだろう。

 ただツイッターには一言(140字以内)での表現という性質があり、テレビ番組のテロップと同じように文字表現でありながら、話し言葉としての性質を持っていることも事実である。ツイートはある意味では声によるコミュニケーションに近い性質がある。しかしその一方で、文字として記録が残る、それを後々見る人がいることを考えると、ツイートを発する瞬間は話言葉的な性質が強いが、その後は加速度的に文字表現の性質を強めると言える。個人的には文字表現として受け止められる時間のほうが遥かに長いのだから、文字表現としての性質を重要視するべきだと思う。

 自分しか見ない日記なら誤字脱字があろうと、スペースを不必要に空けた文章だろうと何の問題もないのだが、論文・履歴書・ビジネス文書などと同様に、ネットに公開するということは多くの人の目に触れるものを書いているということを忘れてはならない。文章だけで人間性を判断することはできないが、文章からある程度の人となりは判断されてしまうものである。小中学生以下のような誤字脱字・句読点が上手く使えないなど文法的に不備のある文章を書いていれば、内容がいくら素晴らしかったとしても読み手の目が内容から反らされてしまう恐れがある。そういう懸念を取り除くためには、自分しか見ない日記のようなつもりでツイートしていたとしても、文章の訓練と捉えて適切な表現を心がけたほうが得策なのではないだろうか。

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