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ツイッターでの表現 その2


 昨日に引き続きMXの朝番組・モーニングCROSSの番組中に表示されているツイートを見ていて感じることだが、自己中心的というか想像力が足りないというか、「頭だいじょうぶ?」とか「お花畑なの?」とか、明らかに他人を馬鹿にしているようなツイートが表示されるのはテレビ番組として適切なのかということだ。個人的にはこの種のツイートを目にすることはかなり不快だし、子供達がこのようなツイートを番組で目にして、テレビで放送されているということを前提に”この程度は問題ない”と捉えてしまい、友達に攻撃的な発言をしないか、それがいじめにつながりはしないかと思うと心配になる。しかし一方でこのような発言自体をするべきではないとすることも、別の意味で危うい気もする。それはある意味での言論統制とも思えるからだ。しかし表現の自由は自由であると同時に責任を伴う。そう考えればある程度は番組で不適切な表現について排除することは許容されてもいいだろうと考える。


 個人的に、かなり偏りのある視点だとは思うが、この種の他人を馬鹿にしたり、罵倒するようなツイートをする人の人物像は、歪んだ自己顕示欲と劣等感を持ってしまいがちな中高生、もしくは精神的にそこから成長していない人だと思っている。この種のツイートをしている人々の大多数はネットで相手の顔が見えないので気が大きくなっているだけで、実社会で面と向かって他人にこのような発言はできないだろうと考えるが、コンビニやスーパーのレジ、駅員などに暴言・暴力を振るう自分勝手な大人が増えているという記事を目にすると、ネットだけで強気な人ばかりとも言えないのかもとかなり心配になる。自分も小売業で接客をしていたことがあり、一定数理不尽なクレーム・暴言を吐く客がいるのは知っている。その一方で電話では暴言を吐くが面と向かうと大人しくなる人も多いのも知っている。やはり生で対面して他人を罵倒できる人は、少なくとも日本ではやはり少数派なのだろう。面と向かって言えないような暴言を、電話だろうがネットだろうが言うべきではないということには多くの人が同意してくれると思っている。

 しかし厄介なのは、フィリピンのドゥテルテ大統領、アメリカのトランプ大統領など公然と、そして堂々と暴言を吐く人物が、重要で尊敬されるべき立場にいること、そして多くの人が彼らに投票してその立場に推し上げたという事実があるということだ。日本だって状況に大差はない。元大阪府知事・市長の橋元氏も一定の人気のある政治家・弁護士でもあるが、ツイートや会見などで数々の暴言を吐いている。橋元氏と同じ維新の会には、国会で「あほ、ばか」などと発言して問題になった足立議員もいる。このような立場にある人物たちが怒りに任せて暴言を吐いたり、人を馬鹿にしたりするような態度をとることは、それを見る彼らの支持者やその子供たちに確実に良くない影響を与えているだろう。昨日記者の質問に激昂するという、ある意味で醜態を晒してしまった今村復興大臣も同じようなものである。例え記者が無礼な質問をしていたことが事実だったとしても、大臣という立場なら落ち着いて対応するべきだ。それが出来ないと見る人によっては”この人は大臣という立場の自分を偉いと勘違いしている”と思われかねない。更に彼らのような対応を見ていると、彼らは外国・テロ組織に挑発されたら激昂して「戦争だ!」と言い出しすかもしれないとも想像してしまう。

 やや話が逸れてしまったが、誤字脱字・不適切な文法表現と同様に、明らかに他人を馬鹿にした態度・暴言を吐くような文章を書く人も議論を交わすに値しないと思われてしまうものである。結局そのような方法では、注目を集めることによって自分の承認欲求だけは満たされるのかもしれないが、実際に重要な内容・本質は理解してもらえないものだ。

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