照ノ富士に向けられた野次「モンゴルへ帰れ」を、スポーツ報知が彼の大関らしからぬ相撲に対するブーイングとして見出しに使用し大きな批判を浴びる事態になっている。この件に関しては、スポーツ報知の「モンゴルへ帰れ」という野次を容認するような伝え方は、差別に対する認識不足があると感じられる。照ノ富士の相撲自体を批判することには何も問題ないと思うが、それを伝えるのに差別的発言を引用する必要性は全く感じられないので、批判を受けるのも仕方がないことだろう。ハフィントンポストでは、スポーツ報知は以前にもナイジェリアと日本のハーフであるオコエ瑠偉選手の記事で、「野性味全開」「本能むき出し」とアフリカの動物にたとえたような表現をして批判を受け記事を削除するに至ったと付け加えている。個人的にはこの件に関しては批判を受けて記事を撤回するほどでもないと感じていた。格闘家などを野獣に例えることがあるのに、野球選手だと何故ダメなのかと思うからだ。この件と今回の照ノ富士の件を同じように考えることには少し違和感を感じる。
Buzzfeed Japanは記事で大相撲ファンを自認する小説家の星野智幸氏への取材を紹介している。星野氏は相撲界では、モンゴル出身力士の台頭によって、日本人力士が横綱になれない状況が続いたことなどを背景に、「日本人という出自で応援することが肯定される空気が、観客のあいだで醸成された」ことが「モンゴル帰れ」発言につながったのではないか。と考えているらしい。個人的に気なったのは、「日本人という出自で応援することが肯定される空気」という表現だ。確かに日本人という出自で応援することが「モンゴル帰れ」発言につながるのは大問題だが、日本人という出自で応援すること自体が問題であるかのような表現は行き過ぎだろう。何故ならメジャーリーグを見るなら多くの日本人が日本人所属チームの試合を見るし、テレビも日本人が出場する試合しか中継しない。それは日本人という出自で応援するということだろうし、そこにはなんの問題もない。日本で行われる日本人がほとんどの競技の相撲でだってそれは同じことだと思う。高校野球だって多くの人が自分の出身県などで応援するだろう。ただ、例えば「○○県に帰れ」なんて野次れば問題になるかもしれない。要するに「日本人がんばれ」など出自で応援は可で、「モンゴルに帰れ」など出自で貶すようなことは不可だと自分は思っている。
3/23に書いたWBCでの日本式の鳴り物を使った応援の件と、今回自分たち日本人は逆の立場にあるのだと思う。多数派だからといって日本人という括りで応援するのはおかしいとするのも変だが、多数派であることをいいことに少数派である外国出身力士たちを差別するようなことはあってはならない。