スキップしてメイン コンテンツに移動
 

科学的根拠と感情論とタバコ


 現代の社会に於いて、科学的根拠だとか統計による数字などは客観的で誰にとっても公平な判断をさせる材料であるような感覚を、多くの人が持っていると思う。しかしそれは正しい感覚と言えるだろうか。情報技術が発達した今、写真や映像も殆どわからないようなレベルで加工が施せるようになり実際とは異なる演出が可能で、それだけでは必ずしも決定的な証拠といえるか微妙になりつつあるのと同様に、科学や統計による数字、調査・研究結果もそれを用いる人間に都合のいいように演出されていることもあるのではないかと感じる。


 例えば報道番組をはじめとしたテレビなどのメディアで示されるグラフを見ていると、錯誤を誘発させようとしているとしか思えないようなものを見つけることがある。例えば、


これが出来る限りニュートラルに作った棒グラフ。何かの数字を当てはめたものではなく説明の為に自分が作ったものだ。年々減ってはいるが、文字で表現すれば”微減”などとするのが妥当だろう。


次は演出を加えて作ったグラフ。”減っている”事を強調するという目的で作ったもの。縦軸の目盛りを見なければ15年で半分以下に減ってしまったように見えるが、実際は最初のグラフと示している内容は同じだ。さすがにここまで偏った印象を与えるものを見かける機会は少ないが、それでもたまに用いられている。


これは2番目のグラフとほぼ同様だが、一応波線を入れて誤解されないようにという配慮があるもの。こちらは各メディアで頻繁に目にする。配慮をアピールしているものの、実際に見る人の印象は最初のグラフより明らかに2番目のものに近いと言える。統計による数字だとか、科学的な調査に基づく数値などと言われるとそれだけで信頼性が高いと思いがちだが、このように数字を改変しなくても与える印象を変えることは可能だ。

 他にも所謂”番組調べ”などの街頭調査も適切とは言い難い場合がある。特にバラエティ系の番組の”番組調べ”の殆どが、東京の、しかも山手線の内側の1箇所だけで100人にも満たない街頭インタビューの結果なのにも関わらず、”日本人全体の意識”を表しているかのように使用している場合がある。”日本人全体の意識”調査とするのなら少なくとも全国を対象に1500から2000人程度のサンプルを集計しなくてはならないはずだ。決して”番組調べ”の街頭インタビュー結果をテレビで使うなと言っているのではない。バラエティー番組で面白おかしく楽しむためのツールとして、又は一部の人の声として紹介することとしては全く問題ない。ただ見る側はそれは”日本人全体の意識”とするには信憑性の低いものであると知った上で見るべきだ。

 BuzzFeed Japanが紹介した記事・非喫煙者も年間1.5万人がタバコで死亡 WHO幹部「まるで前世紀」の中に、

”世界最低レベルのタバコ規制の結果、喫煙を原因とするがんなどの病気で年間12万人が死亡。非喫煙者でも受動喫煙によって15000人が死んでいる(厚労省推計)。”

という記述がある。この記述からすると、適切なタバコ規制があれば年間12万人が死なずに済む、受動喫煙がなければ15000人が死なずに済むと言っている様な気がするが、実際はそうじゃないだろう。その中にはタバコを吸っていなかったとしても老衰などで死ぬ人もいるはずだ。タバコが死亡要因の一つであることは事実だが、タバコ”だけ”が死亡要因ではないだろう。また日本のタバコ規制の遅れを「前世紀のようだ」としているが、イルカ追い込み漁などの問題と同様に欧米の施策が全て正しく、全て追随しなければならないということはない。

 今朝のモーニングCROSSでもこのタバコの規制について取り上げていて、コメントを求められたコメンテーターの渡辺佳恵氏が「申し訳ないがタバコが大嫌いなので、ぜひそう(屋内完全禁煙に)なって欲しい」と発言していた。これは個人レベルの話としては全く問題ないかもしれない。しかし個人的にテレビでコメンテーターがするべき内容ではない気がする。なぜならタバコを規制するのは”嫌い”だからではなく”健康に害がある”からだろう。彼女は確かに”嫌いだから規制しろ!”と言ったわけではない。しかし見る人によってはそう見えるだろうし、それに共感してしまう人もいるはずだ。果たしてそれで良いだろうか。”タバコの臭いが嫌い”だから迷惑なので規制というなら、”香水が臭いから”という理由で香水は規制されるだろうし、アニメ=オタク=キモい・臭い=迷惑=規制なんて感覚も許されてしまいそうで怖い。

 自分は既にタバコを吸わなくなって5年以上経つし、吸いたいと思うこともなくなったが、現在の喫煙者に対する締め付けは、迫害と言ってもいいレベルなんじゃないかとさえ思える。非喫煙者にとって都合よく演出された科学的根拠とタバコの煙・臭いが嫌いという感情論が大腕を振って歩いているように見える。大体そこまで殺人的にタバコが害悪なら、国内での販売・使用を全面禁止するべきではないのか。レストランなどの公共空間を屋内禁煙にしても、各家庭で喫煙が規制されないなら究極的にはタバコを吸う親の元では、子供たちは受動喫煙は逃れられない。受動喫煙問題を解決する為に何らかの規制が必要なのも事実ではあるが、前述のような矛盾を含む議論で検討されるタバコ規制には迫害的なイメージが強く、決して賛同できるものではない。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。