東京新聞が「特定秘密を非開示のまま廃棄 政府、制度改善を否定」という記事を載せている。要約すると秘密指定期間を保存期間より長く設定することが現状の制度では可能で、これを利用すれば政府機関が都合の悪い情報を国民の目に触れさせずに廃棄することが可能だが、政府は「適切な運用を行っており、恣意的な廃棄はない」として制度の変更をしないと明言したという記事だ。南スーダンの日報、森友学園の国有地払い下げ価格決定の経緯など、特定秘密でなくても恣意的な廃棄が疑われる件が直近で起こっているにも関わらず、「適切な運用を行っており、恣意的な廃棄はない」という政府の見解に対して、手放しで「そうだね、その通りだね」と頷く人はどれほどいるだろうか。
そもそも紙データのようにかさばる、管理コストがかかるものならば保存期間が定められる必要性も理解できるが、電子データに保存期間を定めることの必要性はどこにあるのだろうか。保存期間が必要だとしたって保存期間を超えて情報を維持したほうが今後の役に立つ可能性が高いのではないだろうか。電子データのデータ量単価は20年前とは比べ物にならないほど下がっているし、紙のように膨大な保存管理コストがかかるとは思えない。とはいえ完全性を保ってデータ保存使用とすれば電子データだってそれなりのコストはかかる。しかし将来様々な判断をするのに過去のどんなデータが役に立つのかはそのときになってみないとわからない。ならばとっておける情報は出来るだけとっておこうとするのが賢人の判断ではないだろうか。積極的に電子データを廃棄する必要性が自分には感じられない。むしろ残すことは都合が悪いから廃棄するとも思える。紙データしかない時代より、電子データが当然になっている現在の方が、保存期間を理由に廃棄という話についての疑念は確実に強くなる。そして冒頭の記事のような特定秘密に指定した上で秘密指定期間中に情報が廃棄されても問題ない制度が組み合わせられれば、都合が悪いから特定秘密を利用し廃棄するなんて手法が行われているかもしれないと感じるのも当然だと思う。大体「適切な運用を行っており、恣意的な廃棄はない」なら制度を改善しても問題はないはずだ。それを否定すると言うことは、政府に対する疑念を更に加速させることに繋がる。
戦後だけを見てもわが国でも政治上の様々な不正が行われてきたのは事実だ。たとえ現政権が不正を行わなかったとしても、次の政権・その次の政権も同じような聖人君子達とは限らない。しかし政権が交代しても制度は維持される。だから将来悪用する政権が出てくる恐れを完全に否定することは出来ない。それとも現政権は北朝鮮のような世襲的な独裁政権を目指し、この先未来永劫自分たちが政権の座を譲らないつもりなのだろうか。決してそんなことはないだろう。ならば未来のことも考えて悪意を持った政権が登場したとしても特定秘密を用いた不正ができない制度に改善するべきだ。