ここ数年度々取り上げられる日本の人口減少問題。いくつかの試算があるようだが、軒並みおよそ50年後には人口が1億人以下に減るらしい。経済規模・国際的な競争力を維持するという観点などから人口減少は望ましくないという意見が、政府・財界・マスメディアなどでは主流のようだが、自分には”人口が減ると日本は不幸になる”と言われているようでどうも腑に落ちない。そもそも経済的に成長をしなければ生活の質を維持できないという社会構造自体に大きな疑問を抱いているし、日本より遥かに人口の少ないヨーロッパ諸国の幸福度が日本より高かったり、日本と同等、もしくはより高い文化水準を有していることを考えれば、人口減少をネガティブ視することには、やはり疑問を感じざるを得ない。
高齢化が進み高齢者を支える若年層が減ると社会保障システムが破綻するという見通しを理由に、人口減少を食い止めなければならないという話しがある。現在のシステムを維持しようとするならば間違いとはいえない。しかしそれでも”人口減少”自体が悪いのではなく、経済成長を重視しすぎた結果いびつな人口構成になってしまった戦後のわが国の政策や、経済成長重視が止むを得なかったとしてもその影響を考慮した社会保障システムを構築しなかった長期的視点の欠如の問題であり、人口減少=悪とするのは間違っていると思う。大体日本は人口減少に転じたかもしれないが、世界的には人口増加は続いており、生態系のバランスから言えば人口はむしろ減らすべきではないのか。結局、経済・資本主義の論理だけが理由になっているように思える。
とはいえ自分の母国が将来消滅するような状況は流石に好ましいとは思えないのも事実である。ならば人口が増えている地域から人を受け入れる、すなわち移民を受け入れるべきなのだと思う。移民反対派の人の中には、「移民を受け入れると自国の文化・伝統が破壊される」などという懸念を示す人がいる。確かにある意味では正しい見解とも言える。しかし別の視点でも考えて欲しい。まず日本は明治以前は各藩が国のような存在で、庶民が藩をまたいで引越しを行うことは極めて少なかった。というか村から村でさえ引っ越すケースは稀だったかもしれない。しかし現在では極普通のことだ。各県に県民性があることは事実だが、他県からの転入者を「他県の文化が持ち込まれる」と言って拒否する人がいるだろうか。そんなことを言えば愚か者扱いされることは誰もが知っている。というかそもそも日本人だって大陸や南方から渡ってきた元移民だ。人類は元をたどると全てアフリカにルーツがあるらしい。要するに移民をルーツに持たない人など一人もいないともいえる。日本人が自国の文化と言っているものの殆どは大陸から輸入したものを長い年月をかけて独自に進化させたものだ。それを守ることも大事だが、だからと言って他国の文化が入ってくることを懸念するのは、結局感情論の言い換えに過ぎないと自分は思う。
「移民が増えると治安が悪化する」なんて意見も結局それらの話となんら変わらない。治安が悪くなる最も大きな理由は経済的格差などによる、社会への不満の増大だと考える。移民が治安を悪化させるのではなく、移民に対する差別的扱いをするから治安が悪くなるのだろう。移民が治安を悪化させるとして差別的な扱いを行い、その差別への不満が更に治安を悪化させるのは欧米諸国の状況を見れば明らかだ。更に国内の各県でもやはり犯罪発生率は違うのに、「○○県は治安が悪いからあそこの県から引っ越してくる人が増えたら怖い」なんていう人は殆どいないはずだ。
人口減少に対して様々な悪影響を懸念するのに、移民は受け入れたくないということは、過疎化が進んで消滅が懸念されているのに、余所者だからと他地域からの転入を頑なに拒む集落と同じように思える。今すぐ移民歓迎に180度政策を転換するべきだなんて言うつもりはこれっぽっちもない。ただ自国の文化だとか、治安だとかなどの移民への懸念の根底には差別的な意識が少なからずあると感じる。そんなものを理由に移民政策を否定するべきではない。移民を受け入れていく方向で摩擦が極力起きないように配慮をするのが政治の役割ではないだろうか。