貿易が黒字に転じたとか、日本の株価や円相場は、多少波はあるものの一定水準で安定しているとか、経済状況は悪くないという数字やその根拠を目にする機会も多い。だが自分の感覚では決して景気が良くなっているとは思えない。政府は経済最優先と言い続け、国内景気の状況について支持率を守る為に誇張しているのではないかとも思うが、それよりも、そもそも経済成長を前提にした社会構造自体が問題なのではないかと思えて仕方がない。経済成長がなぜ必要なのかを考える。それは”豊かな生活”を実現する為だと思う。”豊かな生活”とは何か。戦後の豊かな生活とは新しい物を次々と手に入れる物質的な豊かさだと思う。それは戦中の物資不足の反動だったのかもしれないし、明治以降に始まった欧米に追いつけ追い越せという風潮と、戦後にどっと入ってきたアメリカ文化の影響を受けた感覚だったのかもしれない。だが自分の親や祖父母の世代が何の為に必死に働いたのかと言えば、物質的な豊かさを手にしたいという思いもあったのだろうが、自分の息子や孫の世代に自分たちと同じような苦労をさせたくないという”生活を楽にしたい”という思いもあったと思う。
生活を楽にするとは、無理な労働をせずに(それなりに)幸せな生活をすることだと思う。人によっては死ぬほど働いて誰よりも稼ぐ事の方がそれより重要だと思う人もいるだろうが、自分の子供を死ぬほど働かせたいと思う人は恐らく少数派だと思う。この思いは自分が知っている”戦後”に限った話ではなく、資本主義が拡大するきっかけになった産業革命後、というかそれ以前もほぼ全ての時代で人類のほとんどが同じように思っていたのではないだろうか。重労働から開放される為に、それまでも道具の革新はあっただろうが、産業革命を機に加速度的に多くの道具・機械が発明・実用化され導入されてきた。戦後の人々が物質的な豊かさを求めたのは、重労働から解放されることを望んでいたからだとも言えると思う。
しかし、産業革命以降、特に戦後は飛躍的に技術革新は進んだが、労働時間、特に日本人の労働時間が減らないのはどうしてなのか。産業革命当時の労働時間は1日12時間から15時間程度だったと言われている。技術がそれから大きく発展したにもかかわらず、日本では基本的には8時間労働とされているが、それは絵に描いた餅で、実際は多くの人が残業を強いられているので多くの人が1日10時間から12時間くらいは働いているように思う。それは産業革命当時の労働時間よりは少し減っているかもしれないが、戦争直後と比べても大差ないだろう。また一向に過労死・過労自殺が減らず、ここ20年だけでも度々世間を騒がせているのに、企業優先だからなのか抜本的な解決策が行われることはない。
日本では、というか世界中の資本主義経済を導入している国の多くでも同じだろうが、経済成長=幸福の追求とされてきたし、今もそう考える勢力の方が強いだろう。しかし経済規模が拡大し、技術革新が進み、物質的には豊かになり賃金水準も戦争直後と比べれば倍以上に増えたかもしれないが、多くの労働者の労働時間は据え置かれたままだし、賃金が上がったのに比例して物価も上昇している。肉体的には重労働から開放された人も多いのかもしれないが、その代わりに精神的な重労働はむしろ増えているかもとさえ疑いたくなるような状況だ。それでもまだ経済成長=幸福の追求だと言えるのだろうか。
結局、お金が必要なのは豊さを実現する為だったはずなのに、お金を多く持つこと自体が豊かさそのものになってしまったという逆転が起きているのだろう。要するに経済成長は必ずしも幸福に繋がらないということだと思う。経済が良くなることが必要ないとは全く思わないし、経済成長出来るのならするに越したことはないが、経済が良くならなかったとしても、横ばいでも衰退さえしなければ幸福になれる社会について考えることがそろそろ必要なのではないだろうか。