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テロへの懸念が排斥の大義名分にはならない


 大統領選挙の第1回投票を目前に控えた時期に、フランス・パリで警察官が銃撃され死亡する事件が起きた。各メディアはテロ事件として扱い、IS系の通信社は犯行声明を伝えている。この事件は本当にテロなのか。警察官が射殺されたとしてもテロ事件といわれる場合もあれば、そうでないこともある。テロリズムの定義とは何だろうか。ISは同種の事件が起これば、計画的か自発的かを問わず後付で犯行声明を出しているようなので判断材料としての重要性は乏しい。確かにイスラム過激派に感化されたと思われる暴力事件がヨーロッパ各国で続いていることは否定出来ない。だからと言ってイスラム系移民やその子孫が起こす事件を全てテロであるとかのような風潮は、果たして妥当なのかという疑問が自分にはある。


 ISが彼らの理想を実現する為に、各国に住む共感者にテロを起こせと煽っていることは事実だ。しかし一部のメディア・政治家はそれを利用しテロへの恐怖を必要以上に煽り、自分への支持や広告収入の為に利用しているようにも見える。更に現在の社会情勢や既存の政治家やメディアなどの既得権益者に不満を持つ市民が加わり、移民・イスラム排斥を正当化しているという状況があるように思う。まず考えてもらいたいのは、ISやその共感者がこのような事件を起こしているのは事実だとしても、全ての移民・イスラム教徒がテロリストとは言えないということだ。欧米における移民・イスラム教徒は前述の既得権益者に不満を持つ市民らと同じ境遇、もしくは更に悪い境遇にあることがほとんどだろう。言うなれば社会的弱者だ。どうして既得権益者への不満が弱者へ向かうことになるのか、結局彼らは、既得権益者なのにも関わらずそれを覆い隠し意識させないような一部の政治家・メディアに踊らされているだけではないだろうか。

 また彼らが幸せになれない理由を移民・イスラム教徒へ求めること自体が間違いだとも思える。彼らが幸せになれない理由は移民やイスラム教徒ではなく、過度に開く社会的格差やそれを是正できない社会構造にあるだろう。そう思うのは、欧米とは違いほとんど移民を受け入れていない日本や中国でも社会的格差は開く一方だからだ。中国は一党独裁という欧米とは異なる体制だし、住んだことがないのでよく知らないが、日本でも格差による不満・ストレスは徐々にそして確実に広がっている。ヨーロッパ各国で現在のようなテロとされる事件が起こる以前に、日本では既にトラックや刃物を用いた無差別殺傷事件が移民ではなく日本人によって秋葉原で起こされているし、欧米で移民・イスラム排斥主義者が増えているように、日本では少数派である中韓出身者に対する差別を公然と表明する人々が増えていたり、まだ動機が明確には解明されていないようだが、社会的弱者である障害者に対する大量殺人が起こった事実もある。移民・イスラム教徒が完全に欧米から排斥されたとしても、そこに向けられていた不満は別の社会的弱者へ向けられるだけだと思う。そうなれば次に排斥・差別対象になるのは、今主に移民・イスラム排斥を支持している没落した中間層かもしれない。

 さらに感じるのは移民・イスラム排斥を訴え、締め付けることは、最終的にはISなどのイスラム過激派を助けることになっているのではないかということだ。差別的な扱いを受けて、国内で行き場を失った移民やイスラム教徒はどういった行動を取るだろうか。テロのような事件を起こす者は極少数だとしても、そのような差別的扱いをした国や国民に対して嫌悪感を抱くようになり、彼ら自身がテロ事件を起こさなかったとしても、起こそうとしている者を止めようと思うだろうか。通報するだろうか。欧米諸国が移民・イスラム排斥を強めるということは、結局自分たちの首を絞めることに繋がるとしか思えず、適切な対処法だとは全く思えない。北風と太陽の話と同じようなことではないだろうか。付け加えれば、難民をテロの原因とする論調もあるだろうが、ヨーロッパで起きている事件の多くは難民ではなく、EU圏内の国籍を持つ移民かその子孫が起こしている。難民をテロを理由に排除しても事態は必ずしも好転しないだろう。テロを根絶したいなら、移民やイスラム教徒に対する差別を根絶するのが最も効果的だと言えないだろうか。

 70年前の戦争の際に、「自国の繁栄のためにはユダヤ人の排斥が必要だ」と訴え、実行した国がフランスの隣にあったはずだ。その国の指導者は排斥を実行し大量虐殺まで行った。だがその国は戦争に負け、ユダヤ人排斥を行ったことに対しても大きな代償を払うことになったはずだ。フランスやその周辺国もその国によって侵略され、ユダヤ人と同様に多くの市民が戦争の犠牲になっていることをそれらの国では教えていないのだろうか。現在の移民・イスラム排斥の状況はまだ最悪の状況にはなっていないが、70年前にナチスが行ったユダヤ人排斥と似ているように思えてならない。ユダヤ人排斥だっていきなり最悪の状況になり、公然と大量虐殺が始まったわけではなく、徐々にユダヤ人排斥の空気を作り上げその度合いを強め、行き着いた先が信じられないほどの大量虐殺だったはずだ。

 社会への不満について感情ばかりを重視して短絡的に判断すること、そういった市民の感情を煽る一部の政治家やメディアを支持し協力することは決して正しいとは思えない。イギリスのEU離脱を訴えていた政治家たちがEU離脱が決まった途端に雲の子を散らすように逃げ出したこと、移民排斥・自国最優先を訴える人物がアメリカ大統領になってからのアメリカのみならず世界の混乱具合を考えてみて欲しい。それらは現在の既得権益者たちと変わらない、もしくは更に質の低い無責任な人々であるかもしれないことを忘れてはならない。

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