「---だと言います」
近年テレビなどでよく耳に(目に)する言い回しだ。ーーーにあたる事柄は伝聞であり、裏取りが出来ておらず不確定であることを意図する表現だ。自分が耳慣れないのは、以前は「---だそうです」と言っていたと記憶しているからかもしれない。と言っても「---だそうです」だろうが「---だと言います」だろうが意味に大差があるわけではない。クレームを回避する為の予防線なのだろうか、どの番組でも必要以上に多用されている印象を受ける。個人的には公共の電波で放送している以上ある程度自信を持って番組を作って欲しいと強く思うが、バラエティなどの娯楽番組などなら扱う情報の裏が取れていなくても、あからさまな間違いでなければそれで良いのかもしれない。ただシリアスな報道番組までそれではまずいのではないかと思う。
伝聞による不確定な情報を一切放送するなと言うつもりは全くない。ただ、ひとつのニューストピックを伝える上で「---だと言います」という表現を使う要素が50%以上では、その番組・そのテレビ局の報道局や記者の取材力が低いですとアピールしているも同然ではないのか。新聞社や通信社など他の報道機関からの情報や、警察、その他の公共機関、企業などからのニュースリリース等を元にした情報などは、厳密に言えば他から伝え聞いた情報で、「---だと言います」と表現するべき情報かもしれない。しかしそれを言い出したら記者が現場で実際に体験した事柄以外は全て「---だと言います」と表現しなければならなくなる。だから新聞社や通信社、警察発表など各局が信頼がおけるとしているソースからの情報は「---だと言います」とは表現しない。ではなぜ記者が自ら街頭インタビューや関係者への取材をした場合の情報は「---だと言います」とするのか、勿論実際に記者が取材対象に質問して返ってきた返答であるということを表現する場合には「---だと言います」と表現するしかない。しかし、その表現を必要以上に多用しすぎれば記者や所属している報道機関が、何かあったときに誤報だと言われないように、責任回避のために曖昧な表現を過剰に用いていると思われてしまうのではないだろうか。
「---だと言います」と言う表現を多用しても事実と異なることを表現してはいないし、実際には単に印象の問題でしかない。しかし人に物事を伝える、表現する上では印象もかなり重要な要素だと思う。何が言いたいのかといえば、テレビ局は公共の電波で許可を得て情報を発信するという特権を与えられているのだから、出来る限り取材をして、不確定な情報だったとしても出来る限り裏取りをし、出来る限り自信を持って放送するようにして欲しい。昨今のテレビ報道のあり方は、ネットでのクレーム、場合によっては理不尽で対応する必要がないようなクレームまでを必要以上に恐れるあまりに、責任回避の予防線を張りすぎてしまっているように思える、それが時として、放送する情報に対して責任感がないように見えてしまう。それも所謂既存メディアであるテレビへの信頼性の低下の理由の一つではないだろうか。