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長時間労働と部活動


 明日からゴールデンウィークということもあり、今週は複数のニュース番組でゴールデンウィークは何日休めますか?という企画を目にした。どの番組のアンケート調査でも1,2日に有給を取って9連休という人は少数派で、カレンダー通りという選択肢が最も有力だった。しかし思った以上にと言うか、自分の過去の経験から考えれば思った通りなのだが、土日のみという回答も少なくなかった。日本は先進諸国の中で有給取得率が最低であるが、祝日の数は最多らしい。とは言っても自分の経験では日本の建設業界では大きな会社は土日祝日を基本休みにしているものの、小さな会社では建前では土日祝休みを謳っているが休日出勤が常態化し代休も取れないなど、ほとんど無視しているところが多かった。以前働いていた小売業界などでは当然のように土日祝日なんて関係なかったし、週1で休みがあるかすら怪しかった。


 働き方改革というスローガンを政府が掲げ、長時間労働が慢性的な社会問題となっていることなどが背景ににあるので、前述のようにゴールデンウィークを前にテレビ番組はそれを話題に取り上げる。そこにはカレンダー通りにしか休めず有給が消化されない状況、そしてカレンダー通りにすら休めない人がいる現状について深刻そうに語る出演者たちがいる。だが、その番組を放送しているテレビ局は小売業界と同じように土日はともかく祝日は関係ない業界で、祝日も関係なく生放送しているニュース番組でそんなこと言ってもあまり説得力がないとも思ってしまう。とは言っても日本の祝日で休みなのは日本だけで、国外では平日なのだから土日とは違い情勢は刻々と変化している訳だし、土日祝には報道も完全に休みということでは放送する側も見る側も困る。そして最近はそのような生放送の帯番組でも出演者が交代で夏休みやゴールデンウィーク代替休暇を取っているのを見かける機会が多くなった気もする。

 マツコ・デラックスさんが度々テレビで「昔は盆暮れ正月、少なくとも大晦日三賀日はコンビニ含めてどんな店も閉めちゃうから、その前に買い溜めしとかないとってのが当たり前だったよね」という趣旨の発言をしているのを耳にする。確かに自分の子供の頃はコンビニも町の酒屋さんなどが鞍替えした店が多く、24時間営業じゃない店も多かったし盆暮れ正月は休みますって店も多かった。テレビだってオイルショック後の影響もあったのだろうが、流石に祝日放送休止なんてことはなかったが、深夜2時から5時くらいは放送してなかったと思う。朝4:45から始まるアニメの再放送をアナログ時代の放送休止画面、通称・砂嵐状態でテレビを点けて毎朝待ち構えていた記憶がある。当時は今よりもっと有給消化率は低かったのかもしれないし、モーレツ社員なんて言葉もあったのだから当時から一部の企業では労働基本法を無視した長時間労働は既にあったのかもしれない。そして当時自分が子供だったから現実を知らなかっただけかもしれないが、少なくとも子供の自分の周辺では土日祝の休みを尊重する風潮は今よりも強かったような気がする。

 個人的には休まないことが美徳とされる風潮が今でも変わらない理由の一つに、学校の部活動があるように思う。最近はどういうスタイルが主流なのかは知らないが、自分が中高生だった頃は放課後は毎日練習、土日祝も当然休みなくというのがごく普通の部活動のスタイルだった。部活動は課外活動なので建前はやりたくてやることなのだが、実際は部活動に所属することを強制・事実的に強制している学校も多く、やりたくてやっていることも事実である反面、労働が国民の義務とされているように、勉学と共に部活動は学生の義務であるというような感覚も確実にあった。そして大体どの部も大会で勝つことを目的にし、その為に厳しい練習をすることが当たり前であるかのようだった。自分はわりと試合で勝ちたい派だったのだが、あるとき練習に身が入らずダラダラとした雰囲気のチームに腹が立って、「だったら勝つことを目的なんかにせず、毎日楽しくプレーする部にしたらいいんじゃないか」と提案した。すると顧問は「それでもいいが、それでは本当のプレーの楽しさは得られない」と部員たちを説得し始め、部員たちでも協議した結果、結局厳しい練習はせず楽しくやりたいと思っていた約半数の部員が辞めることになった。当時の自分はそれはそれで仕方がないとも思ったが、今考えれば厳しい練習に耐えることが、気楽にやることよりも絶対的に素晴らしいという考えが生徒にも顧問にもあったんだと思う。確かに厳しい練習が試合での好結果に繋がる可能性は高い。しかしだからといって気楽な部活より厳しい部活が絶対的に優れている訳じゃない。こういう考え方が多くの日本人が持つ休まないこと、長く働くことが素晴らしいという感覚に繋がっているんじゃないのかと思う。

 小・中学校教諭の実質労働時間が、学校に求められることが全体的に増えていることや、基本任意のはずの部活動顧問を半ば強制されることなどが要因となり、以前より増えているという調査結果もある。しかも学校では教諭の勤務時間管理をしていないことがほとんどで、残業という概念すらない、要するに所謂サービス残業が常態化していることが明らかになっている。部活動における厳しい指導は子供たちに社会的な規範を教えたり、忍耐力・協調性などを身につける為には有効である。しかし基本的に生徒も顧問も任意参加であるはずなのに参加が半ば義務化され、選択肢に楽しむプレー重視の部が少ないことが複数の弊害を生んでいるような気がする。それは同じく学校をベースにした活動であるPTAへの参加問題でも同様だ。教員の労働時間に問題があるのは明らかで、現状の部活動に何かしらの対策が必要なのは事実だ。例えば部活動を学校から切り離して学校単位で行うのではなく、地域のいくつかの学校の生徒たちが自分のスタイルに合ったクラブを選べるようにするとか、公立校でも学区制を基本的に廃止し、例えば野球をやりたいとしても勝利を目指す部がある学校とプレーを楽しむ部がある学校のどちらかを選んで入学できるようにするなどだ。部活を学校から切り離すなら活動資金はどうするのかや、学区制を無くすなら学校の人気が偏り過ぎないかなど部活動以外の要素との兼ね合いも当然あるだろうが、ぜひとも中学校・高校の部活動の在り方も働き方改革の一端として国レベルで検討してみて欲しい。

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