エアコンの設定温度の目安・28度推奨の妥当性について、昨日からネットを中心に話題になっている。これは5/11の朝に官邸で行われた会議の中で、盛山法務副大臣が2005年に地球温暖化対策の為に始まった施策・クールビズでエアコンの設定温度について28度を推奨したことに関して「何となく28度という目安でスタートして、それが独り歩きしてしまったのが正直なところ」(時事通信の記事より)と発言したことから起こった議論だ。この件に関して多くの議論・主張は”設定温度28度の妥当性”についてだが、自分にはそんなことより”何となく28度という目安”が決められたという発言の方がよっぽど問題だと思える。何故ならば、官公庁で行われる他の意思決定でも”何となく”で決まることがあるかもしれないと想像させるからだ。
ハフィントンポストの記事では、2005年に始まったクールビズでエアコン設定温度が28度になった経緯を考察している。記事では、
室内の温度を17度以上28度以下と定めた「建築物環境衛生管理基準」と労働安全衛生法の「事務所衛生基準規則」を基に、『冷房時の室温28度』を決めた。「各家庭やオフィスなどで、夏の冷房の設定温度を26.2度から28度に1.8度上げると想定すると、大きな削減効果が期待できる
というクールビズの公式サイトの文章を引用し、科学的根拠の有無は分からないが、法務副大臣が言うような”ただ何となく”ではなかったという環境省の見解を紹介している。引用した文中にある大きな削減効果というのは、地球温暖化対策を考慮した文言で、温暖化ガス排出に関する話だろう。ということはその信憑性の高さについては分からないが、全く科学的な根拠に基づいていない訳ではないとも言えそうだ。
にもかかわらず、クールビズ導入当時に担当課長として関わっていた盛山法務副大臣が、”何となく決まった”という発言をしたということは割と責任が重いと思う。そのポイントは3点ある。まず”何となく決まった”という見解自体に勘違いの恐れがあること、そして、”役人・官僚は様々な事を何となく決めている”と思われかねない恐れがあること。最後に当時”自らがある程度責任のある立場で関わっていたにも関わらず、その要点を把握していない”ということだ。こんな人物が、法務副大臣なんて重要な立場に居て大丈夫なのだろうか。現在はかなり重要な法案である共謀罪改めテロ等準備罪を議論しているという時期だ。法務大臣にもあやふやな答弁で批判されるような人物が就いているのに、副大臣もこんな発言をしてしまう人物で、果たして適切な省庁運営が出来ているのかかなり心配である。
盛山法務副大臣のこの件に関する”何となく決まった”発言にはあまり信憑性は感じられないが、その信憑性の薄い発言も結局”何となく”しているのだと思う。ということは結果的には氏の発言が的確だろうとなかろうと、役人・官僚の発言・意思決定は”何となく”で行われることもあり、科学的だとか何だとか言っても信頼に足るものではないと明言してしまったと言える。同じ会議の中で萩生田官房副長官も「(28度では)人によっては汗をかいて洗濯物が増える。もう少し緩やかな、根拠のあるものに変えていこう」という発言をしている。根拠のあるものに変えていこうなんて言いながら、”人によっては汗をかいて洗濯物が増える”なんてあやふやで主観的なことをその例に挙げているのがとても滑稽だ。結局彼らには、”28度という設定温度は快適とは言えない”ということしか見えておらず、地球温暖化とかCO2削減などは見えていないように感じられる。
自分は28度という設定温度が適切か否か、設定温度をそれ以下にしても排出される温暖化ガスの総量に大差はないのかは調べてもいないし、実際どうなのかも分からないが、そのことに対して自分たちの重視している科学的根拠だけが重要だと勘違いしている政治家は滑稽に見えてならない。まず盛山法務副大臣がこの件で”何となく決まった”なんて表現を公にしてしまったことは、辞職に値するような失言とまでは言えないが、複数の意味で不適当だし、科学的根拠というものは決して万能な価値基準ではない。恣意的に作り出される科学的根拠もあれば、恣意的に説明に用いられる科学的根拠というのも存在する。彼らは自分たちに都合の良い解釈をしようとしているだけに思える。都合の良い解釈はこれまでも幾度となくなされてきた現政権の大きな特徴でもある。