5/11、朝日新聞が「カラオケのYoutube投稿は「違法」 専門家もびっくり「聞いたことない」」という記事を掲載した。ある男性がカラオケ店で人気女性グループの曲を歌う姿を撮影し、その動画をYoutubeに投稿した。それに対してカラオケの楽曲を作成した機器メーカーが削除要請したが、男性が応じなかった為訴訟に発展、裁判では機器メーカーの訴えが認められ、カラオケのYoutube投稿は違法という前例ができたという事案だ。記事によれば「カラオケ機器の楽曲はCDの音源から独自に作られており、著作権に準じた権利・著作隣接権として保護される」らしい。著作権の必要性や、カラオケの楽曲に著作隣接権が認められることについてはなんら異論はないが、個人的にはどうも釈然としない。著作権は何の為にあるのかということを考えたい。
著作権の最終的な目的は文化を発展させたり、保護することだと自分は考える。文化を発展させ、保護する為にはその文化に携わる人々の創作活動が阻害されないように、彼らの利益を守る必要があり、創作した人ら以外が勝手に創作物を利用できないようにしているのが著作権という権利だと考えている。要するに創作者の利益を守らなければならないのは、その文化を発展させ、衰退しないように保護する為と言えると思う。創作者の利益を守ることは、文化発展の為の手段であり、著作権が必要な最も重要な理由ではない。にも関わらず、現在の状況は商業的な利益保護ばかりが重視され、文化の発展・保護という観点が軽視されているように感じる。
商業的な目的で制作される楽曲もそうでない楽曲も、どちらも音楽という文化の一部であることには違いない。音楽という文化が発展する為には当然創作者の利益を守ることも大切だが、その創作された楽曲が広く演奏されたり、歌われたりすることも重要だ。今回の件では確かにカラオケメーカーは歌うなとか演奏するななどとは全く言ってはいないが、個人が非営利目的で(動画を公開した男性がYoutubeと広告収入契約をしていれば完全に非営利ともいえないが)公開した動画まで規制されるべきだと言えるのならば、個人的には友人などと一緒にカラオケを楽しむことも、人前でカラオケを歌う行為として、そのうち一人でカラオケをすることとは別に今の料金に上乗せしてその分の料金を請求されたり、最悪カラオケは一人でするものとなってしまう事態にもなりかねないような気がしてくる。そんなことにはならないだろうが、人前で鼻歌を歌うことにすら「著作権侵害!」と言ってくるようなことも想像してしまう。そう思えてしまうのは、2月に話題になった児童向け音楽教室での演奏も公衆の面前での演奏と捉えるというJASRACの判断もあるからだ。これらのような事案は、事業者という商業的に音楽に関わる団体の利益は守れても、音楽やカラオケという文化の発展には繋がらないような気がしてならない。
また、今回問題になっている動画投稿サイトというのも、また別の文化でありそれを利用して個人が自由に表現することもまた、その権利が守られる必要があると考える。その為にYoutubeに投稿される動画で使われる楽曲などにおいて、著作者の利益を阻害しないようなシステムは、方法の妥当性は賛否両論だが、ある程度確立されている。しかし今回訴えを起こしたカラオケ機器メーカーは、元の楽曲をアレンジしてカラオケ楽曲を作成しているが、それを使用した動画が投稿されても、Youtubeに対してその権利を主張し利益を得ることが難しい。アレンジという作業が創作として認められないとも言えそうだいう問題点があるようにも思える。しかしカラオケの楽曲は、カラオケ店で客に歌ってもらうことによって利益を上げる目的で、楽曲の創作者に許可を得て作られたもので、例えばYoutubeに誰も歌っていないカラオケ楽曲がフルコーラスで投稿されたのならば、その利益を阻害されたという言い分も理解できるが、個人が歌っている映像、記事によれば男性はワンコーラスのみと主張しているようだし、それで確実にカラオケ機器メーカーの利益が阻害されているとは自分にはとても思えない。確かに人が歌っている動画だろうが、ワンコーラスだろうが、気にしない人はカラオケに行く代わりにその動画に合わせて歌うことで済ますということも全く考えられなくはないが、それはカラオケを歌う動画に限らず、個人が楽曲を演奏している動画でも同じことが言えると思う。そんな類の動画までカラオケ機器メーカーの利益を阻害していると訴えたら、誰もが滑稽に感じるだろう。要するにワンコーラスだろうが気にしない人はカラオケ店に行く代わりにその動画に合わせて歌うことで済ますかもしれないなんて懸念は、考慮する必要性が薄いと言えると思う。もしくはカラオケ機器メーカーが、今後カラオケ楽曲を歌った動画を投稿するサイトを独自に展開する機会を阻害する恐れがあると考えている可能性もあるが、そのような事業を行う以前からこんな対策をしているのであれば、そのメーカーの機器を導入している店舗や客の反発が起こる恐れもあると思う。確実にそうなるとは断言できないが、もしそうなってしまったらカラオケ機器メーカーだけでなく、カラオケという文化自体の停滞を招くかもしれないという懸念を感じる。
記事によると、ある弁護士は「投稿禁止の判決は聞いたことがない」とした上で、「個人の投稿ならむしろ話題や宣伝にもなり『お目こぼし』されていた部分もあった。判決をきっかけに、投稿のルールを巡る議論が起きる可能性はある」という見解を示しているようだ。見解を示した弁護士が間違っているとか、全ての創作者や事業者がそう思っているとは思わないが、まず、この件ような事案が今まで問題化しなかったことに対し”お目こぼし”なんて認識が楽曲の創作者や事業者にあるのだとすれば、彼らは少なからず楽曲を楽しむ側・利用者の支持を失うことになるだろう。それよりも何よりも、今回の司法判断は音楽という文化にとっても、カラオケという文化にとっても、動画投稿サイトという文化にとっても良い影響は少ないと自分は考える。著作権が必要な理由をもう少し考えた判断が必要だったのではないだろうか。