2-3月あたりから痴漢を疑われた人物が線路を走って逃げるという事案が多く発生し、各メディアでも度々報道されている。直近では遂に逃げた人物が死亡するというケースも出てきた。痴漢は当然許されるべきでない行為だが、ここ数年では勘違いによる告発や、性質の悪い示談金目当て、場合によっては男性全体に対する逆恨みのような目的で、痴漢をでっち上げる女性も少なからず報道されている。痴漢していないことを証明することは現状ではかなり困難で、一度告発されると例え冤罪であっても社会的に受けるダメージは大きい。告発された時点で人生が変わってしまうと言っても言い過ぎではないかもしれない。線路を逃げた人や逃げて死亡した人の全てを痴漢とも痴漢冤罪であるとも短絡的には判断できない。痴漢冤罪の恐れを重視すれば、今後被害者が声を上げる為に必要な勇気を萎縮させる恐れがあるし、痴漢摘発を重視しすぎれば、勘違いで告発される人を増やしてしまったり、痴漢をでっち上げやすい状況を作ってしまう恐れもある。痴漢対策というのはバランスをとるのが非常に難しいと思う。
痴漢や痴漢冤罪が起こる背景には超がつく程の満員電車の存在があると思う。満員電車対策は小池都知事も公約に掲げていたように記憶している。就任前後は電車を2階建てにしてみるなどの案が報じられていたが、当然のように即実現できるような案でもなかった。その後はオリンピック予算問題や築地市場の豊洲移転問題などばかりが注目されていることもあり、全く音沙汰がない。
満員電車もこの問題の重要な要素だということは誰の目にも明らかなのだが、小池知事も、言葉は悪いがほったらかしていることからも分かるように、都市部に住む日本人はそれに慣れてしまっているし、現状でも社会が回らないような大問題でもないし、兎に角緊急の問題と認識されていない。痴漢・痴漢冤罪問題を解決する為には電車内の監視カメラを増やせばよいという意見を目にするが、自分は監視カメラを増やすことが痴漢・痴漢冤罪対策として有効とは思えない。乗車率100%程度なら監視カメラはある程度の抑止力・証拠収集能力を発揮できると思う。しかしまさにぎゅうぎゅう詰めの身動き一つ出来ないような超満員電車で、車内で唯一空間のある上部から人の頭を撮影しても、結局人の頭しか映らないのではないだろうか。たまに痴漢の証拠として男性に女性の衣服の繊維が付いていたなんて場合もあるが、ぎゅうぎゅう詰めなら自分はそんなもの証拠でもなんでもないように感じる。女性の下着の繊維が付いていたなんて話ならまた別の話だが、それでも女性が恣意的に繊維を付けることも可能だろうし、それだけでは決定的な証拠にはなるとは言えないと思う。要するに痴漢被害を減らす為にも、痴漢冤罪を減らす為にも必要なのは、監視カメラで撮影できない程に、密着して乗車しなくてはならない状況をどうにかするしかないと思う。
鉄道会社は十数年前から女性専用車両を導入している。一定の効果があることは認めるが、決定的な解決策でもないのは既に確実だ。それでも女性専用車両だけでなく男性専用車両も導入しろなんてどうしようもない意見を主張する人がいるのも不思議だ。確かに男性専用車両に乗れば、男性が疑われる恐れは低くなるが、痴漢を働く人や、でっち上げようとする人が各専用車両に率先して乗るはずもないので、究極的には全て男女で車両を分けなくてはならなくなる。そうなれば車両を男女半々で分けるのか、利用者の比率で分けるのかなどの論争が起きることが予想され、車両利用効率の問題や性差別の問題に発展してしまう恐れがあるとも考えられる。また性的少数者をどう扱うかなどの更なる余計な議論も生みそうだ。現在痴漢の被害者の多くは女性で、痴漢冤罪の被害者の多くは男性だが、それが全てのケースに当てはまる訳ではない。これらのことから、男性専用車両導入も良い案とは言えないと自分は考える。
満員電車に乗らないというのが、痴漢被害・痴漢冤罪被害の両方での現状における最善の策なのだが、乗らないという選択が現実的ではないという人も多くいると思う。ネットやパソコンが普及し始めた頃、将来は会社に出勤することが現在より必要ではなくなるなんてことも言われていたが、結局、直に顔を合わせることのメリットや、旧態依然の思考回路などが20年そこらでガラリと変わることも無いし、所謂ブルーカラー系の労働者は労働現場に出向くことが不可欠であるし、状況はあまり変わっていない。痴漢被害についてそれまで泣き寝入りすることが多かった被害者が声を上げやすい風潮が広まったことは数少ない社会の変化の一つかもしれないが、今必要なことは、これま被害者側に冷たかった状況に戻ることなくバランスをとるということなのではないだろうか。痴漢のでっち上げをしづらい環境をつくり、冤罪だという言い訳を出来なくすることも、痴漢の被害を減らす為には有効だと思う。それにはやはり満員電車を如何に緩和するかを検討するしかないと感じる。