朝日新聞が”「地毛証明書」都立高校の6割で 幼児期の写真を要求するケースも”という記事を掲載している。記事によれば、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させている都立高校が約6割あるらしい。率直に昭和から平成になって既に約30年経つのに、相変わらずの時代錯誤っぷりだとしか思えない。結局、教師ら大人たちも適切なのか不適切なのかを考えず、”自分たちもそうされたのだから、それが当然”的に以前にも書いたような悪しき伝統が継承されているということだと思う。
頭髪と共に服装(制服)も学校で生徒たちがチェックされるポイントだが、頭髪と制服では大きく異なる点がある。自己表現の要素と捉えれば頭髪にも制服にも大差はないが、頭髪は生まれつきの固有の要素が大部分を占めるが、制服はそうではないという点だ。個人的にはパーマや染髪の禁止、制服があるのはいいが強制は必要ないと思っているが、公立か私立かでも議論は分かれるかもしれないし、学校によってはそれらが禁止・強制されるルールがあってもいいのかもしれないとも思う。ただ、パーマや染髪の禁止にこだわり過ぎるあまりに、頭髪の質が生まれつきかどうかを証明させるなんて人権侵害的なことが、行われていることは容認し難い。小学校では、「自分ではどうにも出来ない生まれつきの身体的特徴を笑ったり馬鹿にしたりしてはいけない」と教わったが、一部の生徒だけに地毛証明をさせることには確実にその要素が含まれていると思う。深刻に言えば”身体的特徴による差別”だ。それをいじめに最も気をつけなければならない立場の学校・教員などが未だに行っているなんて時代錯誤も甚だしい。
MXテレビのモーニングCROSSでもこの件を取り上げていて、それに対する反応のツイートの1つとして「自分の経験上、髪を染めている人は、振込み払いの場合、支払わないことが多い。不思議だけど」という意見が画面に表示されていた。この人の主張の意図が、”だから学校での厳しい頭髪統制が必要だ”なのか、”染髪している人はだらしない(確立が高いから注意が必要)”なのか、もしくはその他なのかはツイートの文章だけでは詳しく分からない。後者であるならば商売を行う上でのあくまで個人的な指標を持つということで理解もできるが、前者ならば強く反論したい。何故かと言えば、それは現在欧米で社会問題になっているイスラム排斥の理由と同じだからである。ヨーロッパでテロとされる事件を起こしている者の多くはイスラム過激主義に影響を受けた者とされているが、だからといってイスラム教徒=全員テロリストではない。パーマをかけたり髪を染めたりしている人は、彼が言うようにだらしない人の割合が高かったとしても、パーマ・染髪=全員だらしないではない。それは所謂”偏見”というものだ。
学校における頭髪に関するルールには、規律を教えるという要素もあるだろうから、偏見としか言えないとまでは言わないが、その背景には、そんな偏見が要素のひとつとして存在していないとも言えないだろう。そんな偏見に基づいている恐れがあるルールを運用する為の、人権侵害・差別と思えるような制度が、差別や人権侵害に対する懸念や、その危険性を教えなければならないはずの教育現場で行われていること、教育関係者がそれに疑問を持たないことにはとても大きな不自然さを感じる。他国に比べればまだまだ日本に住む外国人は少ないようだが、それでも日本人や日本人と似た特徴を持つ東アジア人以外の人々、もしくはそのハーフが徐々に増えている。この先いつまでもそんなことを続けていたら、海外で日本人=差別的・排外的なんてイメージが定着しそうで心配だ。現実的には実際排外的だが、バレていないだけなのかもしれないが。