最近の菅官房長官には冷静さが足りないのではないだろうか。元々キッパリと物を言うタイプであるとは思っていたが、昨今国連特別報告者に対して単なる一個人的な物言いをしてみたり、加計学園の問題について示している強硬な見解などを見ていると、まるでトランプ政権の報道官のようだと思える。どうも心の中心に「自分達は間違えない」とか、もっと厳しく言わせてもらえば「自分達の主張することだけが正しいことだ」とかいうような思い上がりのような気持ちがあるように見える。
加計学園の問題については、本質的に問題があるのかどうかについては、自分もまだどちらとも言えないように感じている。それとは別に、前川・前文科相事務次官の会見を受けて、菅氏は「(前川氏は)当初は責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついていた」という発言をしていた。恐らく菅氏は前川氏が天下り問題で引責辞任したことや、読売新聞が報じた前川氏のスキャンダル的な記事などを前提に、彼は信用に足らない人物であると印象付けたかったのだろうが、自身が総理と共にリーダーシップを執っている内閣にも、記者に対して逆上し被災者への配慮を欠いた発言で謝罪したものの、職務にまい進するとしてその座に留まったが、舌の根の乾かぬうちに同様の失言を繰り返して辞任した復興相が居たことを忘れているのだろうか。また、森友問題の交渉記録を財務省が破棄したとすることや、この加計学園問題で明るみになった文書、菅氏が怪文書と表現し、文科相が調査の結果存在が確認できなかったとしたが、前川氏は存在すると証言した所謂”総理のご意向”文書のことだが、それらの官公庁・官僚が文書が無いとする主張の信憑性を極めて下げている原因には南スーダン日報問題がある。そういう意味では内閣全体や官公庁の信頼性を保つ為には防衛相が責任を取るべきだったと自分は考えるが、当の防衛相は今もその席に座ったままだ。付け加えれば、彼女は森友学園問題でも虚偽と言われても仕方がないような答弁をし、1日で撤回・謝罪するというオマケも付いている。彼女についても個人的には「責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついている」と言えるのではないかと思う。
読売新聞の「(前川氏は)在職中に出会い系バー通いをしていた」という記事を菅氏は前川氏の信頼性の低さの理由の一つにしているが、前川氏が児童買春をしていたなどの決定的な犯罪行為だったのならまだしも、読売新聞の記事は所謂週刊誌レベルのゴシップ的な内容だし、そもそも有力な全国紙が扱うような情報ではないとも思える。そんな記事を拠り所に官房長官ともあろう者が人を卑下するのは如何なものだろうか。しかも問題の文書は存在したと証言したのは前川氏一人ではなく、日本獣医師会の北村氏も同様の見解を示しているがそれは無視しても良いということなのか、それとも北村氏も同様に取るに足らない人物ということなのか。彼は元々は自民党で副大臣などを歴任した議員でもある。
確かに前川氏が、経緯は別としても、結果的には天下り問題を野放しにしていたということも事実だし、出会い系バー通いの件でも歯切れの悪い言い訳染みた発言をしているのも事実である。それに今回の加計学園の所謂”総理のご意向”文書に関してもなぜ在任中に問題提起をしなかったのかにも疑問が残る。彼がこのタイミングで告発に至った理由は、天下り問題における事務次官の引責辞任に対する報復的な行動で、信憑性に欠けると見る人もいるようだが、自分には前川氏も元々は内閣よりの人物で、これまで口を割ることにはデメリットしかなかったが、辞任したことで利害関係が薄くなり本当のことを言い始めた可能性もあるように思える。更に言えば、菅氏が強い不快感を示している理由も、これまで自分たちに従順だった者がそれを覆し意に反した行動をとっている、要は裏切り者だと見ているから余計に怒りが沸いている考えると合点がいく。
最初に述べた、最近の菅官房長官には冷静さが足りないのではないだろうかという話の理由はここにある。冷静に発言した方が前川氏の発言の信憑性を下げられるだろうはずなのに、なぜ無気になって短絡的な反論を繰り広げてしまうのだろうか。そのような行動をとる事は、以前からの彼らの支持者は盛り上がるのかもしれないが、新たな支持層の開拓には繋がらないと思う。彼らがどこを向いて政権を担っているのかがそこから透けて見える。確かに彼らを支持する人々へのアピールも大事だろうが、彼らは一介の議員ではなく国を預かる者なのだから、全ての国民を同じように満足させることはとても難しいかもしれないが、少なくとも支持者だけを見ていれば良いということにはならないのではないだろうか。