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懸念があるならあきらめた方が、


 「拾得者はお礼を辞退されていますが、お礼の電話を希望されていますので、すみやかに連絡を取り、お礼の言葉を伝えてください。拾得者から、あなたからの連絡が無い等の理由で、お礼の言葉を受けていないと連絡を受けた場合、あなたの氏名、電話番号を拾得者にお伝えすることになります

最近ツイッターを中心に話題になっている、申請していた落し物が警察に届けられ、それを引き取る際に警察から一緒に渡される用紙の文言だ。この話題の元になったのは京都府警での話だが、関東在住の自分も「あなたの氏名、電話番号を拾得者にお伝えすることになります」とまで書かれていたかどうかは良く覚えていないが、似たようなものを受け取った記憶がある。何が問題なのかと言えば、この制度を利用して落とし主が女性だった場合などに拾い主が不必要に会おうとしたりする、極端に言えばストーカー的な行為に及ぶ恐れを、警察が住所などの情報を提供し助長している場合があるのではないか、ということだ。この話題の元になったツイートも鍵を落とした女性によるもので、彼女は「連絡したところ『どんな人か会いたかった』と言われ怖かった」という趣旨のツイートをしている。落としたものが鍵であることや、拾い主が届ける前に合鍵を作製しているかもしれない恐れなどを考慮すれば女性の懸念にも理解できる点は大いにある。


 この件でネット上でレスポンスを示した人の殆どが肯定的で、警察が一方的に個人情報を他人に与えるのは時代錯誤とか、気持ちが悪いとか、まるでこの件の拾い主は確実に嫌悪すべき人間だと言わんばかりの意見で大いに盛り上がっていた。この一連の流れを見た自分は「日本人はどんどん思いやりを失っていっている」という気分だった。確かに話題の元の女性の感じた恐怖や、警察の個人情報の扱いに関する時代錯誤感は理解出来る。しかし”気持ちが悪い”なんてのは言いすぎというか、もうただ単に偏った正義感を振り回している自分に酔っているとしか思えない。何故なら、落し物を拾ってくれた人は善意で拾ってくれているかもしれないということを全く無視して、全員が邪な気持ちで拾い届けていると疑っているということになりそうだからだ。女性は『どんな人か会いたかった』に怖さを感じたと言うが、拾ったものが返ってきたということについて、どんな感情を持ったか知りたいと思っていれば、会ってみたいと思うこと自体が全て気持ち悪がられるようなことでもないとも思える。しかもこの問題提起の中で女性が鍵を拾ってもらったことについて、実際は感謝の気持ちもあった反面で持った懸念なのかもしれないが、自分が見た限りでは感謝を示すような文言を殆ど使っていないことからも、懸念するようなストーカー的な行為に及ぶ落とし主と同様に、彼女にもいくらか道徳的な問題があるように感じる。道徳的な問題なのだから彼女がどのように表現しようが否定は出来ないが、自分は彼女の主張や一緒になって賛同している人たちを全面的に肯定する気分にはなれない。

 前述したように警察の対応に配慮が足りないことや、一部に邪な気持ちでこの制度を悪用する人がいるのは事実かもしれない。しかしだからといってこの件のように拾い主に対する懸念ばかりを強調すれば、落し物を拾って届けようという人が減ることはあっても増えることはないだろう。いくつかのメディアはこの件に関して既に記事化しているが、中には実際に懸念ばかり強調しているものもあった。懸念を抱かれるようなタイプの拾い主、懸念を抱くタイプの落とし主はごく一部の人々であると必ず前置きをしてもらいたいものだ。そして落し物を拾ってもらった人は、まず感謝する気持ちを持って欲しい。当然その感謝する気持ちに付け込むことは許されないし、感謝しろと強制されるものでもない。感謝される側も感謝を要求するべきではない。しかし感謝の気持ちよりもそこにある懸念ばかりに目が行くようならば、そもそも落し物をしないように細心の注意を払い、万が一落し物をしても警察にも届けずあきらめた方が潔いのではないかと感じる。

 昨今はネットで似たような一方的な視点での話がよく盛り上がりを見せ、またテレビや新聞などのメディアもそれをネタに記事を書く。当然中にはその盛り上がりに対して批判する記事が書かれる場合もあるが、大概はネット上の世論はそっくりそのまま実社会の世論を反映していると言うような論調で追随するものだ。個人的にはネット上の世論は、実社会の世論と合致する確立は必ず高いとは言いがたいと思う。ネットは誰もが気軽に参加できるという今までのメディアにはない特徴があり、これまでのメディアよりは確実に実社会の世論を反映しやすいということは事実だが、前述のように一方的な視点で正義感を振りかざすある意味では危険な風潮が、既存メディアよりも更に生まれやすいという側面も確実にあると思う。特に今回の落し物を拾ってくれた人に対して感謝よりも懸念が上回るなんて思考はそういうものの現れであるように思う。

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