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将来を考える力


 和歌山市のある市議が、新しくオープンした図書館分館を訪問し、書棚が半分程度しか埋まっていない写真と共に「市民図書館初の分館オープン。なんやこの書棚… 通常、民間のお店ならこんな状態ではオープンできやんやろ!」というツイートをして批判を浴びる事態になっている。恐らく議員は一般の書店やレンタルDVD店などの棚を理想と想定し、棚に複数の空きスペースがあるのは本を揃えられていない・またはスタッフの努力が足りないとか感じたのだろう。それに対する多くの批判と同じように、自分もすぐに”この人は何かを収集して整理するということをしたことがない人なんだな”と感じた。

 この施設がどの程度の規模でどのような構造になっているか詳細は分からないが、分館ということなので、それほど大規模な施設ではなくバックヤード的な倉庫部分がそれほど広いとは考えにくい。ということは写真にあるような館内の通常の書棚スペースで蔵書の大部分を収めなければならないタイプの図書館だと推測できる。この推測が間違っていなければ、書棚が開館当初から余裕のない状態ではこの先新しい本を仕入れていくことを考慮していないことになる。コレクター気質のある人ならば分かると思うが、集めた物をきちんと整理するには収納スペースにある程度の余裕を持っておくことが重要であることは常識と言っても過言ではない。物を集めるということはこの先も物が増えていくということであり、今あるものだけしか収納できるスペースがない状態だとそれ以上集めることは出来ない。正確には、集めることは出来たとしてもきちんと整理することは確実に出来ない。

 図書館という施設は今ある本を並べるだけで完結する施設ではなく、利用者のニーズに合わせて新刊を増やしていく必要がある施設だ。勿論スペースは無限ではないので入れ替えもあるだろうが、本屋と違い売れてスペースが空くわけではないので、”最初からギチギチの図書館=将来のことを考えていない”と言えると思う。市議が投稿した写真は棚の半分以上は本が並んでおり、開館時の訪問ならば全く問題ない状態だと思う。

 このようなことで市議は批判を浴びているのだが、これが市議ではなく他の図書館とは関係ないような人のツイートだったなら、単純に「その見解は正しくないのでは?」で済む話だったかもしれない。深刻なのは彼が市議という立場であるということだ。彼が所謂専業市議か兼業的な市議かは知らないが、市議もれっきとした政治家だ。図書館に関するツイートからは”彼の将来展望能力のなさ”を感じざるを得ない。政治家に将来展望能力がないことはかなり致命的だと思う。更にツイートの「なんやこの書棚…(中略)できんやろ!」という言葉選びも残念だ。自分は関東出身で、自分が感じる関西弁のニュアンスは現地の人のそれとはまた違うかもしれないが、彼の発言からはわりと高圧的な態度を感じてしまう。将来展望能力のなさは政治家として致命的と書いたが、政治家だって一人の人間だし、好ましくはないが思いが至らず見当違いの発言をしてしまうこともあるだろう。ただ、それを威張り散らすような態度で示してしまうこともまた政治家として致命的だと思う。要するに政治家という立場に驕らず、自分も人間なのだから間違いを犯す恐れはあると常に心のどこかに忘れずにおくことが出来ていないということだ。辞任した今村復興相が記者会見で激怒して不適切な発言をしたのも同種の案件だ。

 自分の意見を主張することは日本人があまり得意ではないというのは事実だろう。そしてその理由の一つに意見を主張すると煙たがられる風潮がある。その一方で自分の意見を主張することが出来て、その意見がある程度煙たがられず、共感する人が投票し当選した政治家はある意味では”主張する能力のある人”だと思う。しかしその能力・立場などに驕り高ぶって自分の能力を過信した結果、もしくは驕り高ぶってはいなかったとしても、自分も一人の人間であり完全な存在ではなく時には間違うことも忘れた結果が、”適当ではない見解を高圧的に表現”してしまうということなのだと思う。

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