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強引な政権運営


 国会会期末を直前に夜通し続けられた6/14-15の参議院本会議で所謂共謀罪法案が可決され成立した。今週に入ってからは、法務委員会での採決を何とか回避しようと野党による数々の問責決議案などで議論は進んでいなかったが、切羽詰っていた与党も議論を重視せず、法務委員会の採決を省略するという異例のかなり強引な方法で法案の採決を行った。
 個人的には確実にこの法案には反対なのだが、現在の与野党の勢力の差を考えれば法案が成立してしまうこともある意味仕方がないとも思える。廃案にして一から組織犯罪対策を考え直すのが最も好ましいとは思うが、成立するにしたって少しでも懸念を減らすように議論を出来る限りするべきだったとも思う。勿論法務大臣を筆頭に首相、官僚の答弁が二転三転したり、根拠を示せない説明を堂々としたり話にならないような議論が続いていたことも重々承知している。だが会期末である今週の議論を放棄してでも廃案に持ち込みたいという野党の目論見は結果としては失敗したわけで、この結果については仕方がなかっただけで片付けるべき話ではないとも思う。与党の傲慢とすら思える強硬な採決の手法が間違っても適切とは言えないのは当然だが、野党も議論を結果的に放棄したように感じる。与野党共にどんな結果に至ったとしても、必ずどこからか何かしらの批判は受けるだろう。しかし今国会や共謀罪についての顛末は与野党共に信頼感を落としただけではないのだろうか。即ち政治家や政治そのもの全体に対する不信が以前にも増して大きくなったように感じる。普通はこれだけすったもんだすれば少なくともこの政権中は大胆な行動には出ないと予想するのが普通かもしれないが、後述するように傲慢で信頼性の低い現政権は強引に何かをするかもしれない、若しくは何をするか分からないから不安であるというのが自分の思いだ。


 共謀罪法案採決の6時間後に加計学園問題に関する所謂「総理のご意向」文書についての再調査結果が公表された。ここでは問題の顛末を詳細には説明しないが、会期末前日、しかも共謀罪の可決を行ったのと同じ日にこの発表をしたことについては、それぞれに対する批判を分散させようという意図があっただろう。森友問題において籠池氏の証人喚問を行った日にも、それ以前から問題点が複数指摘されていた、日報の有無や戦闘という表現についての解釈などそれ以前から問題点が複数指摘されていた、南スーダンへのPKO部隊派遣について撤退を発表するなど、同じような手法を現政権はこれまでにも使っている。

 更に以前の調査では確認できなかったとしていた「総理のご意向」文書も、南スーダンの日報と同じように結局後から出てくるという結果だったし、これについて出所が明らかでない「怪文書」と切り捨てた官房長官は、記者からそのことについて追及されると「怪文書という言葉が独り歩きした」などと、まるで自分の発言に責任を持たないと言っているかのような発言をしていた。この発言は言い換えれば、彼にこの結果を見通せなかった、即ち先見の明がなかったことや、彼が信じた調査を行った文科大臣の調査能力の欠如なども認めたようなものだと感じる。俗な言葉で言えば逆ギレして開き直っているとしか思えない。

 文科大臣の再調査結果報告後、調査結果に内閣府の職員から送られたメールが含まれていたことを受け、文科省同様に調査に及び腰だった地方創生大臣も内閣府で調査を行う意向を示した。この時自分は「再調査の結果文書はあったと認めるけど、内閣府でも調査した結果「総理のご意向」という圧力は実際はなかった」と言うのだろうと想像していたが、翌6/15にその通りの発表が行われた。文科大臣が前回調査で調査開始からたった1日で杜撰な調査結果を公表し、再調査では国会での追求を最小限にするため、そして都議選への兼ね合い上、会期末前には結果を公表する必要があったのだろうが、内閣府の調査は1日もかけずに予想通りの結果報告が行われた。そんな背景とこれまで行われた南スーダンの日報やご意向文書などの杜撰な調査を考えれば、もしそれが真実だったのだとしても、「はい、そうですね」なんてすんなり受けいれられる人の方が少ないだろう。彼らの手前味噌の調査に信頼性があると思えないのはごく普通の考え方ではないだろうか。

 長々と共謀罪・加計学園の両問題について書いたが、現在の政府の強引な政権運営は複数の点で主張に信頼性が感じられないということだ。そのような政権がいくら大丈夫だ、指摘は全く当たらないなどと説明とも言えない説明を、TOC条約締結にはこの法制が不可欠だとか、一般人は対象にならないとか、複数の矛盾や根拠の示されない話、誤解なのか嘘なのかは分からないが適当とは言えない主張などと共に繰り返しても、共謀罪についての懸念が消えるはずもない。この信頼性の低下は特定秘密の管理能力についても同じことが言えるし、集団的自衛権を容認するという解釈変更の適切さにも、南スーダンで起きた戦闘の解釈についても、森友学園疑惑での弁明にも、加計学園問題での釈明にも同様の懸念を感じる。要するに何についても臭いものに蓋をしようとする姿勢では、何についても信じられないということになってしまうということだ。

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