6/16、ハフィントンポストが”ベトナム戦争に従軍した韓国兵への弔辞に抗議。ベトナム政府「国民感情を傷つけかねない」”と言う記事を掲載した。どんな記事なのかというと、韓国の戦没者を追悼する記念日・顕忠日に行われた式典で、文在寅大統領が追悼メッセージの中で「ベトナム参戦勇士の献身と犠牲を土台に祖国の経済が復活した」と発言したことを受けて、ベトナム外務省が「韓国政府がベトナム国民の感情を傷つけ、両国の友好と協力関係に否定的な影響を与えかねない言動をしないよう要請する」という声明を発表したという内容だ。朝鮮日報によれば、この背景にはベトナム戦争当時、韓国軍が9000人余りのベトナム民間人を虐殺したにも関わらず、韓国政府はこれを認めていないとベトナムの一部のマスコミが指摘していることがあるらしい。
要するにベトナム側にしてみれば、民間人への非人道的な行為も行ったのにそれを無視して、別の面だけを見てベトナム戦争への介入を美化するなということだろう。恐らく文大統領にはベトナム戦争を美化するつもりは毛頭無かっただろうが、被害者側からすればそう見えたという話なのだろう。韓国や中国が日本の戦没者を祭る靖国神社に対して神経質になることにとてもよく似たケースだと思う。しかも韓国は靖国神社のケースとは全く逆の立場になってしまっているのが興味深い。
一部の嫌韓論者たちはこういった報道を見ると、「韓国は自分達も同じようなことをしているのに、日本の靖国神社や旭日旗を批判するのはおかしい」と言うだろうし、既にそういう主張を目にしたことがある。一瞬間違いではないような気もするが、韓国がベトナム戦争に対してどのような姿勢だろうが、戦前の日本が朝鮮半島の人々を強制的に徴用したり、程度の話は別としても、欧米が植民地で行ったのと同様に差別的な政策を行っていたことが全くの嘘ではないことに変わりは無い。「韓国は自分達も同じようなことをしているのに、日本の靖国神社や旭日旗を批判するのはおかしい」という主張が正しいならば、犯罪者が相手なら犯罪を犯しても構わないということになってしまいそうだ。そんな秩序の無い状態を肯定したら社会は成り立たなくなる。
この件を別の視点から見れば、戦争は将来に深い遺恨を残す恐れが強く、紛争・国家間の摩擦を解決する手段として好ましいとは確実に言えないことを物語っていると思う。ベトナム戦争介入当時、アメリカも韓国もその正当性や正義を大義名分にしていたわけだが、介入が適切だったとは言い難い結果に終わったのも事実だし、その結果としてこの件のような新たな摩擦が生まれているのも事実だろう。確かに武力による攻撃を受けたときに対応する為に備えは必要だし、武力を全く持っていなければ、悪意のある者に対して牽制することが出来ないのも理解は出来る。ただ、相手が武力をチラつかせ脅しをかけているからといって同じように脅しをかけるような行為は、賢い選択だとは思えない。現在の日本政府は「対話の為の対話では意味が無い」などと言い、アメリカが北朝鮮に対して武力による圧力をかけることを容認、というより賞賛しているとさえ思えるが、対話の為の対話なんて表現自体がナンセンスだ。今までだって誰も対話の為に対話をしてなんていない。拉致問題を解決する為、両国間の関係を正常化することを目指して対話を行っていたはずだ。確かに安全保障上日本はアメリカ頼みの部分があるのも事実だが、単にアメリカ万歳のような状態になってしまうのなら、それはある意味アメリカの植民地のような立場に自ら成り下がることになると思う。戦争放棄という世界でも類を見ない憲法を掲げていることにもっと誇りを持って、また独立した国家として毅然とした態度を示すことも日本の役割として必要なことではないだろうか。