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総理記者会見の感想


 昨日・6/19、国会が閉会したタイミングで、というか実質的には週末に行われた報道各社の内閣への支持率調査で支持率が軒並み10%程度下落したことと、来る都議選へのその影響を憂慮したからこのタイミングだったという意味合いの方が強いと思うが、安倍総理が記者会見を行った。会見で総理は今国会で多くの時間が政策とは直接関係のない、森友学園・加計学園の問題に多くの時間が費やされてしまった理由には、自分が強硬な姿勢で臨んでしまった事もその要因だとし、所謂総理のご意向文書の調査が不十分だったことなどにも言及するなど、一部非を認めるような姿勢を示した。ただ、今最も話題になっている加計学園の獣医学部設置については岩盤規制を打破する為に行っているもので、世の中を騒がせている疑惑のような事実はないとその正当性を主張していた。しかし個人的には「反省する」とは言っているが、その反省を基に何をどうするという話は全く無かったように思う。一応「国民の理解が得られるように丁寧に説明する」という趣旨の言葉はあったが、丁寧な説明をいつどこで行うのかや、丁寧な説明とは具体的にどのような事を指すのかは明確にしていない。要するに反省をどう今後に活かすかは全く示されなかったので、反省しているスタンスを見せればそれでいいでしょ?と言っているようにしか見えなかった。本当に反省しているなら、国会の会期を延長してでも各問題を明らかにするとか、閉会後に反省の気持ちが生まれたのなら、会見で閉会中審査に積極的に応じる姿勢を見せるとか、具体的な行動で示すべきではないだろうか。


 会見後の記者とのやり取りもかなりお粗末な内容だった。以前から一部で記者クラブや大手メディアの政治部と官邸には癒着のような構造があるのではないかという指摘があるが、本当にそうなのかもと思わせるような状況だった。何故なら記者が「これらの問題について具体的にどのように説明しますか」と聞いても、丁寧に説明する努力をするとか、真摯に説明を果たすとか、全く具体性の無い返答しかしないし、記者もそれを指摘しようとしていなかったからだ。政府が国民が納得していないなら丁寧に説明していくと言っておけばそれで万事OKと思っていると感じるのはこれが初めてではない。安全保障関連法制を成立させた時も同じように支持率は下がったが、その際も同じように丁寧に説明することが必要だと言っていた。しかしその後、国民が納得するような目新しい説明は全く無く、それまでの説明をオウムのように繰り返すだけだったが、その年末の衆院選で勝利したことから、実際にはその選挙では経済一辺倒でアピールを行っていたのに、丁寧に説明した結果信が得られたと勝手に思い込んだようだ。ということは、今回の直後に控える都議選の結果によっては、それは今回の件の丁寧な説明の結果だとか、この会見で反省する姿勢が認められたなどと都合よく言い始める恐れが無いとは言えない。

 北朝鮮問題について「対話の為の対話では意味が無い」と閣僚らだけでなく総理自身も口にしているが、様々な疑惑について具体的に説明することも彼にとっては意味の無い対話の為の対話でしかないのかもしれない。記者とのやり取りも意味の無い対話の為の対話と思って軽んじているのかもしれない。要するに彼にとって対話や議論なんてのは大して重要ではないのものなのかもと疑ってしまう。

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